journal in japan

記憶の中の詩

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2012-10-07 [ Sun ]
Arvo Part - Triodion

時季はずれだけれども・・・
スポンサーサイト
2010-03-03 [ Wed ]
journal in japan にいらしていただき、ありがとうございます。

長年日記と小文を綴ってきたポータル・サーヴィスが、
このたび終了することになりました。
そのため9月15日以降は、この blog にオリジナル記事を掲載し、
それ以外の特記事項をこの log に記載することといたします。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
(09/11/07)

ただ今ログのお引越し中です。
ここ1-2年、ネット上に書いてきた日記を移していますので、
2005年12月以前のログも、よろしければ「月別アーカイヴ」から
ごらんください。
それ以外のところに書いたものや古いログを転載または再掲した場合は、
この固定ログでお知らせします。
一部ログのレイアウトが崩れてしまいましたが、後ほど修正します。
(01/28/07)

"journal in japan" オリジナルの記事:
夏の詩〔うた〕たち ~文月から長月へ~
水たまりと空の詩
マルファとワーシャの月〔画像追加〕
りんでん〔画像追加〕
比翼 または ueber allen gipfeln ist ruh
無題
ゆらぎ
人間にはどれだけの物が必要か

空 il cielo
海 il mare または ようそろ ahoj

「日本にスシにされた Machten die Japaner Sushi aus uns!」
裏声なら歌える? 君が代
記号と音
Wenders-abend:言葉をめぐって
母語 mother tongue / muttersprache
apres les reves / nach den traeumen
Happy Holidays!
残滓
krimi
マダム・ラリョーサは私・・・?

再掲記事:
perlentaucher
みたび早春 M... - Franz-Josef Strauss
月はどっちに出ている
初秋 東京-東京国際(羽田)
W... - Schwechat

私流「素朴」と「情感」について
インテリア
aquis submersus --- o mio padre Johannes Nepomukus!
2009-02-12 [ Thu ]
想いおこせり 梅の花


rosa_pflaumen

2008-12-21 [ Sun ]
[YouTube] here comes the sun

2008年のひと文字:道
2009年のひと文字:前
2007-12-22 [ Sat ]
飴色の光の中を通っていった。

それから荷物をまとめていた。
少しずつ持ち出していたので、もうあまりない。
ただひとまとめにしていくには、重さが躊躇われた。

時計に眼を遣る。

いったん袋に入れたものを戻したり、また入れたり。
また戻す。

時計に眼を遣る。

今日はこれくらいにしよう。

「もういっぺん来ますから」
誰にともなく言いおいた。

飴色の光の中、
帰り道は緩やかなスロープだった。
壁に向かってトランペットを吹く人。


そこで眼が覚めた。
そして思い出した。
そこには櫛1本、遺してはこなかったことを。

なのに「もういっぺん来ます」

時計を見ていたのは、会わずにおくつもりだったから。
荷物を残したのは---会うつもりだったから?


あれからどれほど経ったのだか。
飴色の光景はただ甘く暖かく、
そこを破けた自分がこぼれないように必死でかき抱きながら
歩いた日々のことは、カーテンを透かす陽の光の中で
ようやっと思い出した。

たぶん・・・とうぶんはそこへ戻ることはないのだろう。
とまれそれは、わずかな荷物をまとめて出てゆく光景だったのだし
これからは春に向かって、人々の爪先は歩みだしてゆく日なのだから。

冬至の日の、光に満ちた夢だった。
2007-10-05 [ Fri ]

夏からずっと照らしつづけてくれたピンクの花の樹に
秋になって別の花が咲いた。
白い花。
ひとつの房からのびた小枝の先に
ピンクと白とが混じり咲いている。

千々に乱れた心がこぼれぬよう
かき集め、かき抱いて樹を見上げてきた人に
今はそれでよい、
自分をも誰をも責めるのは詮無いことだと
静かに語りかけるように・・・

2007-10-05 [ Fri ]

蛾眉の月をうっすらと眺めながら、バスに揺られていた。
終点に着いたので運転手さんに
「このまま折り返して中央駅に戻りますか?」と訊いたら、
バスを乗り間違えたと思われたようだ。
指さされたバス停へ行くと、中央駅行きは1時間後。
諦めて、Sバーンのエスカレータを駆け上がった。

蛍光灯に照らしだされた構内は、寂しかった。
こんなに寂しい駅は見たことがない。
ヨーロッパでも、東京で生まれ育った私には「村」としか見えない
小さな町の駅にもいくつも降りたったけれど、
そこにはいつでもどこか、人の気配や温もりがあった。

上り電車の到着が近かった。
財布にコインがあったので自動券売機で切符を買い、
自動改札機を通る。
(今、駅が寂しいのはそうやってすべて自動化されているせいかと
思ったのだが、ヨーロッパの駅にはそもそも改札口がないし、
駅はたいてい場末と相場が決まっているのだから、
やはり自動化のせいではないのだ・・・)

乗客は1両に10人たらずだが、
ローカル線ならば珍しくはないだろう。
窓の外はもう真っ暗で景色が見えないので、
さりげなく乗客を観察する。
とりたてて何の変哲もない、
生き生きしておしゃれな都市生活者の姿。

中央駅は、賑やかだった。
改札から流れこんでくる人たちは、これからどこへ向かうのだろう。
私が乗ってきた路線や駅へは?

正面階段に同じ月が懸かっているので、
まだ同じ町にいるのだとわかった。

そこから歩み入った路地路地には
人工の光と人の姿が賑やかだった。
2007-09-11 [ Tue ]
(5)
この街の被災資料を見て、「爆心地 Groud Zero が公園でよかった」と
言った米国人がいるそうだ。
まさか。「破壊の瞬間 Zero Hour」直前まで、そこが建物と人のひしめく
生き生きとした生活の場だったということは、想像に難くない。
2001年9月11日の朝まで、WTC がそうであったように。
(今の WTC 跡地の映像を見て同じことを言う外国人がいたら、
 米国人はどんな反応をするだろうか?)

ただ私はトラムに乗って、おそらくまだ行ったことのないエリアへと向かう。
昔の家族旅行のときは、記念公園周辺でこの街の滞在時間を
あらかた消費し、たしか背骨の山地を縦断して、
反対側の地方へ移動してしまったのだ。

ともあれ2度めの土地のせいか、街の規模が小さめのせいか、
ゆったりした気持ちで車窓風景を眺める。
前々日/前日訪れた街々に比べて人の動きは緩やかだ。
それから、正直に言えばファッション・センスははるかに垢抜けない。

死の灰の中から復興したとはいえ、いちばん古い建造物は60年を超える
計算だし、のんびりゆったりしてはいても、今ここには再び
地方都市の暮らしの活気が、ある。

トラムは港の方へ走っていく。
川を渡ると、街並がいちだんと古びてきたのを感じる。
都心部から、どれくらい離れているのだろう?
爆心地からは?
そもそも私の机上の知識では、このへんは別の町というか、
隣町ではなかったか。
古びて鄙びてはいるけれど、エリアの中心らしき地点も、
通りすがりながらはっきりわかる。
はいはい、お勉強はしないルールの旅でした。

終点は港湾ターミナル。
売店がいくつか開いていたので、お弁当とコーヒーを買い、
眺望のきく待合室でやっと食べものにありつく。
空と海と、船と・・・

ふとこの街にもっといたくなり、
時間と暑さに背中を押されたこの旅の慌しさからのがれたくなり、
トートに入れてきた時刻表を調べる。
最終の東京行き新幹線・・・時間は微妙だ。
そして、もし明日の午前中に乗るとしたら・・・いや、
明日でも午前中でも、やっぱりここも東京も暑いだろう。

I.N. デザインの橋再訪も含め、あとの動きは成行き、
つまりはトラムの接続と所要時間に任せることにする。
西陽はずいぶん傾いていたが、外に出るとやはり潮風は
べっとりと肌にまつわりついてくる。
2,3ヶ所移動して、やっとフィルム・カメラで何枚か撮る。
ちょうど中央駅行きのトラムが来たので、乗る。

子供の頃、毎年夏になると父から手製の資料集を押しつけられて
食傷ぎみだったこの街の惨禍について、
帰ったらちょっと復習してみようかなと思う。
このエリアは、当時どういう状況だったのか。etc. etc.・・・
ヨーロッパのとある小さな街でフィールド・ワークをしていたとき、
案内役を買って出てくれたご隠居の名士が
私の空き時間をすべてこの種のお勉強にあててくださったことがあった。
その街の歴史と由緒。
なぜ第2次大戦末期に、市街の95%もが灰燼に帰するほどの大空襲の
標的になったか。
名士氏の家族と、ファシズムとの関係と相剋。etc. etc. etc.・・・
破壊されたこの街では、私自身の血縁も被害に遭ったのだ。
子供時代の記憶とフィールド・ワーク期の体験、
そして靉光展のカタログを抱え、靉光研究者と言葉をかわした
今日の出来事とが、またしても複合リンクする。

strassenbahn橋方面へ行く乗換停留所が近づいてくる。
でももう暗く、私は心にも手にも背中にも、
いっぱいすぎるほどのお土産を抱えこんだ気がしていた。
これ以上欲張るのはよそう。
他にも見たかった光景、行きたかった場所はいくらでもあるのだ。
それはまた、いつか。


2-3年前から日帰りの、
そしてやっとこうして、泊まりがけの旅行がまたできるようになった。
満足して、安心して帰ろう。

靉光の代表作は東京の、皇居にほど近い
行きつけの美術館が所蔵している。
また逢いにゆこう。メトロに乗って。

***
6年めの9.11.、
6年前と同じ、火曜日だという。
New York、Hiroshima/Nagasaki、Rotterdam、
そして Euroshima-Dresden etc. etc.・・・
すべての無辜の生命に r.i.p.
2007-09-07 [ Fri ]
(4)
ところが、この話もログも、まだ終わらないのである。

また、展示を最初から最後までさらりと流す。
気に入ったシュールな細密画、日本画風・・・あたりで足を緩める。
ある友人の仕事スペース~居間スペースの壁に
H.B. と A. がかかっていたのを思い出す。
数ヶ月間の仮住まい(furnished)なので、もともとあった調度品を
そのまま使っていたのにすぎないのだが、
その絵を眺めているのが好きだった。
のちに1度は流れたものの数年後に旅を実現させた地で、
A. は数寄者の王に錬金術師として抱えられていたことを知る。
城の一角にそういう怪しげな科学者だか魔術師だかを住まわせた路地は
今は観光スポットのハイライトの1つ。
でも私たちは夏の夜、ひと気がない路地路地を回った。
フラッシュを消した400のフィルムに放縦に流れた
彩光は、まるで絵の具をチューブからキャンヴァスに
そのまま押し出したように。

関連小展と常設展をさらっと回る。
これはいつもと同じ。
いや、東京の美術展[館]なら常設展はそのうちいつか、で
出てきてしまうから、ちょっとだけ欲張っているだろう。

講演を聴く前も後も、靉光作品になんらかの思想性---政治性を
私は感じない。
さまざまな作風を経てもそこに一貫しているのは、あきらかに彼は
昭和・・・20世紀前半、大戦間期の芸術家であり人間だったということだが
それ以外にはむしろ普遍的な、芸術との対峙の姿勢が
ひしひしと伝わってくる。
では逆に、芸術至上主義に走ったにもかかわらず・・・あるいはそれ故に
ファシズムに利用されてしまった各国の、そしてとりもなおさず
日本浪曼派はどうだったのだろうと、ちらりと疑問が頭をかすめるが、、、
私は何も考えないために、旅に出てきたのだ。

常設作品の中では I.N. と M.E. を少しゆっくり観、
秋からのプロジェクト新フェーズに使えそうなヒントがあったので
携帯で資料撮影をし、パンフレット類をもらって
 <嗚呼また仕事が、紙が・・・・・・
街に戻ることにする。

・・・と、発車間際のトラムに乗りこんできた人物に見覚えが。
ここでは私は旅行者なのだが・・・本日3度め、靉光講演の講師である。
私のまん前に座ったので、一瞬迷ってから思いきって声をかけた。

素直に話のお礼と感想を述べた。
話が下手っぴなのに面白いから、私は朝から飲まず食わずだとは
言わなかった。
トラムのがたごとに声がかき消されてしまい、
講師が長身を折って聞き入らなければならなかったのは、
空腹のあまりもう声が出なかったせいなのだけれど。
彼のこういう仕事が活字発表されているか、
とくに今日の講演内容の発表予定についていちばん訊きたかったのだが、
彼はうっと唸ってあれこれの言葉を不器用に並べた。
口下手なのは聴衆の前に立ったときとか、「靉光というテーマは
自分にとっては重たいものなので」というだけではなさそうだ。
乗換停留所まで2つ、5分たらず。
演者に講演後の会場で話しかけるとかレセプションで一瞬捕獲するとか
 <後者のほうが競争率高し
このへんの敷居は、その気にさえなればたいして高くない。
でも帰りに公共交通機関の中で接近遭遇するとは、
東京ではまず期待してかなわないものだ。

ちょうどやって来た乗換路線に腰をおろしてからカタログを開いたら、
参考文献リストに講師の業績もたんと載っていた。
寡聞にして無知、重ねてご容赦を。
これはまた近いうちに、大学図書館に沈没せねば。
ただやはり、大きくいえば「靉光再評価」に関わる今日の講演内容は
まだ活字発表されていないようだ。
彼はとある県庁所在地の美術館勤務。
今日のお礼とお詫びと、そしてもう少し私自身の(興味の)background を
はっきりさせるなら、そういえば美術館気付でメールを出せばいいのだと
思いついた。

***
9月7日深夜。帰京後3週間経過。
・・・講師にメール、まだしてません。
美術館のサイトさえ検索していません。
ときに帰ったばかりの週明け、気がついたこと。
ワタリウムで靉光生誕100年展@東京終了の瞬間を迎えたときの
メモを発見。
「(…)巡回スケジュール:仙台~広島(…)」などとai-mitz
付箋にメモし、雑記用の rhodia に貼っておいたのだ。
講演のメモも、この rhodia に書いた。
それがなぜ&いつ「富山~神戸」に脳内変換されたか、大きな謎。
自分が馬鹿らしく悔しかったので、
講演メモのページにその付箋を貼り、カタログと一緒に撮影。
このヨーロッパの銅版画のような、でも実は
毛筆で緻密に描きこんだ一種の自画像が、
私にとっては日本近代の H.B. あるいは A.。
2007-09-05 [ Wed ]
(3)
そろそろ昼食をとりに下りようかというところで、
講演会のアナウンス。
そうだった。
こういうのは当たりはずれがあるので、
はずれの場合こっそり抜け出せるように、ドア近くの席を確保。

講師の顔を見て吹きだしそうになる。
さっきチケットを買ったとき、
隣に立ってカウンタに大きな鞄を置いた男性だ。
独特の匂いがするのは感じていたが、そういうことだったか。

話が始まって、またひそかに独り笑い。
洒落者で神経質そうな(そういう面もあるのだろうが)外見とは
ギャップのある、訥々とやや拙い話し方。
はっきり言って、話は下手だと思う。
講演の趣旨は「抵抗の画家」「戦争被害者の画家」といった
ステロタイプな靉光のイメージを覆したいというので、
正直主催の新聞社のコラムを読んで
あまりに素朴で安直な決めつけに、作品をよく知らないながら
違和感を抱いていた私は、ペンを握りしめて話に聞き入った。

・・・なのに、進まないのである。
1つ1つのエピソードは興味深く、自分の足で歩いて
資料を掘り起こし、関係者の話を聞いてまわった
フィールドワーカーの好奇心と苦労に共感する。
でも、本題は?
時計を見てはいないけれど、今そのエピソードを話していて
あなたの講演原稿、あるいはタイム・テーブルでは
ちゃんと時間内に話がおさまる予定ですか?(岡目八目

画家自筆の皇室典範だか教育勅語の墨書の画像が出てきて、
講師が何度もそれを出したり引っこめたりするので、
どやしつけたくなる。
床に自筆稿を置いて水平に撮影した画像に、
講師本人のものとおぼしき靴先が写っている。
ぃゃ、画像の下1/3くらいが靴である。
きっとここで、笑いをとるつもりなのだろう。
とびきりエッジの効いた講演の資料映像(動画)の冒頭に
ディズニー映画の一部を1-2分ほど挿入し、
「すみません、娘のヴィデオに重ね撮りを・・・」と
とぼけたガイコクゴでうそぶいてみせたのはある知人、
同窓の先輩の夫君。
その手はもう、古いんです。
今日の聴衆も緊張/謹聴しているのか呆れているのか、誰も笑わない。
それより「抵抗の画家」「反戦平和運動のシンボル」etc. etc. の
実証主義的反証は?(マダァ~~~

空腹と押してくる時間に急かされた私が荷物をまとめようとするたびに、
計ったように講師は論証やテーゼを小出しにしてくる。
これはさすがに意図的でない証拠に、残り時間を気にして
話をはしょろうとはしているし、
だのに面白いエピソードがあると、つい喋らずにいられないのだろう。
気持ちはよくわかるのだけど・・・

どうにか結論めいたものを講師が口にしたところで、
拍手もせずに講堂脱出。

ところが、この話もログも、まだ終わらないのである。

==
前衛アーティスト随行日記(連載中)を読みながら、
あぁあの頃はまだ夏だったのよねぇ、と思う。
汗だくの旅行だったというか、私が彼らに瞬間遭遇した時も、
通りがかりのコンビニで買ったミネラル・ウォーター2Lを
抱えていたのだ(笑 <詰替え補充用
台風接近中で明日は蒸し暑くなるとか、夏と秋とのはざまで
ul 作業もまだ終わらない・・・
2007-09-02 [ Sun ]
(1)
東京発・下り超特急に揺られながら、
今日はいつもと違う顔をしていると思った。
眉と唇をほんのちょっといじるだけ。
いつもと違うことをした覚えはない。

洗面所の鏡の前で髪をおろして、わかった。
祖父・周介の顔。
大叔母・伊都子の顔。
二人の故郷は、ここから遠くない。
不思議なことだけれど私は
自分が生まれ育った東京にいるときとは
別の顔をしていたのだ。

(2)
慣れた手順で、1日乗車券を買ってトラムに乗る。
昼前から、陽はじりじりと照りつけていた。
まっすぐ美術館へ。
特別展紹介ヴィデオをぼんやり眺めながら
しばらく額と足を冷やして、展示室に上る。

去年から今年にかけて、東京で何度か
逃がしたと思いこんだり、ほんとうに逃がしたり。
靉光に初めて出逢ってから何年にもなるのに、
実は予備知識はほとんどなかった。
「ブーム」かどうかは知らないがたしかに最近
メディアでとりあげられることが増え、
ともあれ短い創作期間の間にさまざまな作風を
試行錯誤のうちに経、
出征前に自分で処分したり
故郷の街が大戦末期に壊滅的被害をうけたりしたために
残っている作品がごくわずかしかないことだけは
わかってやって来た。
実際に観て強い印象をうけた代表作だけでなく、
もっと大きな創作活動全体のなかで彼を見たかった。

とはいっても、数少ない作品のひとつひとつが
足を留め、胸に落ちてくる。
その感覚を、印象を
今はまだ言葉にしたくない。できない。
画家のように、キャンヴァスに絵の具を何層にも塗り
それを削り、また塗り重ね・・・
そうしてゆっくり時間と得心をかけて
言葉を浮かびあがらせていきたい、
そのプロセスを味わいたいと思った。

お盆休みのせいか一般的認知度はけっして高くないせいか、
郷土の画家の生誕記念展というのに、
会場はがらがらだ。
休憩室のソファに座ったり、気に入った絵の前にしゃがんでみたり
自由にゆきつ戻りつ、
ぜいたくな時間を過ごす。
2007-09-01 [ Sat ]

白と

臙脂、あるいは
紫。
陽の光はかすかな飴色をおびた白。

夏の色。

蝉の音は冥界の声。
招くように、嘯くように。
(文月から葉月へ)

涸れ濠に夏草そよぐ古城にをり
(葉月一六日)

寝待月高く懸かれるあわひどき
(葉月晦日)

2007-08-25 [ Sat ]
2日めの夜から3日めの朝にかけて、
今までの旅やあれこれの断片が、朧ろげな形をとりはじめる。
思考停止、判断停止と決めたのだから何も考えたくない、考えられないが
いくつかの「リカヴァリー・ポイント」が見えてきた、と思う。

たしか2003年の夏だったと思うのだけれど、
 <そういえば Niki と出逢った夏
まるで警察国家の個人監視のように(ヲイ
毎日毎夜の所在について日本の中央官庁から届出義務を課せられた
スケジュールの中で、
1日だけ出国前に届けた予定行動を破った。
独りに、自由になりたかったのだ。
ちょうど週末だったのを口実に、官庁担当者には予定行動に戻ってから
週明けに事後報告したのだと思う。
中世の城がある、でも意外に19/20世紀転換期の建築物が街を彩る
小さな街を何周もし、白夜の空がまだ明るいのに
部屋に戻って死んだように眠った。
静まりかえった時間と空間。
翌日も同じく、街をぐるぐる。
そして、夕方到着するはずの私を心配し、また心待ちにしてくれている
親友一家に何度も電話して、「ごめん、もう少し待って」
「もう少し独りでいたいの。もう少しこの街にいたいの。
あなたたちに早く逢いたい気持ちはやまやまなんだけれど」と、甘えた。

たとえばその夏が、その週末が
ひとつのリカヴァリー・ポイント。
それから、それから、・・・
続きを思い出すのはあとにしよう。

ちなみに。
連絡は欠かせなかったとはいえ、最初の約束より何時間も遅れて
待ちあわせの駅のホームに
 <どの駅で拾ってもらうかも、個人的趣味で我侭を言った(照
立っていた友人とハグとキスをかわして、
私の第一声。
「洗面所はどこかしら?」
乗換駅で、コーヒー喫みすぎです。
小さな古都の夜の駅は静まりかえり、wc もすでに鍵が閉められている。
「だいじょぶ、そんなに急ぢゃないから」
のんびりことこと、高速と田舎道を走り、
着いた先でまたハグとキスの嵐。
はしゃぐ女子供の様子をにこやかに眺めながら、
出迎えてくれた友人はおっとりと私に言った。
「ところであなた、どこか行きたいところがあったんだよね」
忘れてた。そうでした。
「このドアだよ。あなたの荷物はこっちに入れとくからね」

日本の地方都市の中央駅で、列車を待ちながらエスプレッソで一服。
そんな間の抜けた再会シーンと、
そもそもそれより数年前、彼〈女〉らを東京駅で見送ったときの
少女の柔らかい頬を思い出して、心の中でひっそり笑った。
2007-08-23 [ Thu ]
朝、隣町へ。
拠点にした街の全国チェーン百貨店もそうだが、
大都市の中心部は東京もそれ以外も、
それどころか日本もヨーロッパも大して変わりない。
繁華街を素通りし、美術館へ。
昔東京のウォーター・フロントで見た、代表作の立体コラージュ。
色が変わっている気がしたが、あとで訊くとそれは経年変化で、
最初の発表後に手を加えてはいないという。
観終えたら昼前だったが、知人(とアーティスト氏)はまだ
美術館に来ていないと言われ、「来ました」とだけ伝言、
それからノートにサインを残して辞去。

常設スペースの関連小展と、常設品展示をさらりと観る。
日本でもかなり有名なアーティストや作品の他に、
もうちょっと(ずっと?)マイナーあるいはニッチな
現代アーティストの作品を発見。
1つは、昔東京で観た、かも、しれないもの。
もう1つはたぶん初対面、でも私の好きな女性アーティスト
Niki d.S.-F. のパートナー J.T. によるオブジェ。
美術館前の池?濠?に、Niki の回顧展を初めて観た
はるかはるか北の街の美術館前にも池があったと思う。
そこには白いヨットが何艘も浮かんでいたが、
ここでは白鳥のかたちの遊覧船が係留されている。

2展めの内容は、やはりまだ観ていないものだった。
日本では人気のあるテーマで(ここでもかなりの評判だという)、
東京ならかなりの大混雑だったろう。
友人にほんとに感謝。
ここでも会場は混んでおり、順番待ちで何度かソファに座りこむ。
人と人のすき間から、もう見た展示品の断片を眺め、
それにしても当時の人間に、これだけの難事業を決心させた確信は
なんだったのだろうと思いめぐらす。

最近の展覧会は会期中パスポート制とか、
当日なら再入場可とか、以前よりずっと融通がきくようになった。
倒れそうになったのでちょっと抜け出して、館内カフェで遅すぎる昼食。
戻って、戒壇前のソファで一瞬意識を失う。
さすがに限界だ。
展示室の後半をもう1度観て、売店をのぞく。
あぁ、ここでもまた。
数年前に東京で観た関連小展とは、
日本、アジアと欧米のアーティストによる写真グループ展。
懐かしい気がして手にとった絵葉書は、そのときの出展作品だった。
おぼろげな記憶をたどり、まだ持っていないのを何種類かおみやげに。
カタログは・・・どうしても欲しくなったら
東京のミュージアム・ショップで探すか、
ここの博物館に直接問い合わせようと決める。

美術館から博物館への移動中、Niki の彫刻を見つけていた。
戻って、携帯とフィルム・カメラで記念撮影。
で、バスに乗る。
都心部のターミナルまで行って、ひと休みしてから
そのまま隣町へ戻るか、美術館へ寄るかしようと思った。
ミュージアム・カフェで知人の伝言を聞き、コール・バックしたが、
はっきり約束はできなかった。
ヴェクトルはかぎりなく隣町と、ホテルのシャワーに向いていたが、
とにかくコーヒーが喫みたかった。
と、偶然にもそのバスが、美術館の近くに停まった。
急いで降りてから、「これからちょっと顔出します」。
ぁぁぁぁ、コーヒーが喫みたい。苦い渋い、香りのいいエスプレッソ。
展示室前のソファにくず折れていたら、向こうから見つけてもらった。
常設展の話になる。
J.T. を観たと話して、私はまた軽い興奮状態に。
市内で Niki と再会したのも、きっとそこに最初の伏線があったのだと
思ったから。
知人はそんな私の連想を知るはずもなく、J.T. と親友の
作品のつながりについて語る。
・・・そんなに何もかも、つなげないでください。
ところで上記、初期の代表作、音響面でトラブルが発生しているらしい。
私はリールが回っているのに気づいただけだが、
ほんとうは音も出ていなければならないのだと。
私と話していてそのトラブルを思い出したのか、知人もアーティスト氏も
浮き足だってきて、たぶん遭遇時間は10分たらず。
私も、帰ろう。
2007-08-22 [ Wed ]
トンネルを抜けてまっ先に眼に飛びこんできたのは、
鮮やかな赤と青のコントラストだった。
単色だけとっても、東京にはあきらかにない明度。

夕方、少し日が翳ってきてから街に出る。
とはいえまだまだ蒸し暑いが、水辺にいると涼しい風が
かすかに寄せてくる。
水の街、なのだろう。
とくにまったくあてはない。
土鈴が欲しい、ほかは。
列車の中でおおまかにでもプランをたてるつもりだったのが、
車窓風景にすっかり夢中になっていた。ずっと。
とにかく鼻先の向くまま、足探りですずろ歩いてみる。
蔭から蔭へと伝ってゆき、それでも熱に耐えられなくなると
通りかかったバスに乗る。
見学も観光もしないつもりだったし、
だいたい何も考えずに過ごそうとだけは決めてきた旅だが、
人を、街を、肌で感じたかった。

ふと、ここはある街に似ていると思った。
東京都下のある市、
というより私の感覚では、かなり独立した東京近郊の地方都市。
城のある街というくくりはできるものの
関東のそこは、現在の市街の周辺に山城が点在しており、
近世以降はむしろ宿場町として発展した。
近代以後の基幹産業も、この街とはまったく違う。
たしか。たぶん。
ただどうしてもその個人的感覚を捨てきれず。
どこをどう走ったかさえ覚えていないほど、手あたりしだいに
路線バスで巡っているあいだにメールが来て、
予定を繰りあげて会うことになった友人に
感想をぶつけてみる。
無反応。
無理もない。
モン・サン・ミシェルの地元民をつかまえて、
「トウキョウの近くにはこことよく似た、エノシマというところがあって・・・」と
講釈をたれるようなものだ(ソコカイ

部屋に戻ってから、翌日隣町へ行くならと勧められた
展覧会情報を携帯の pc ブラウザでチェック。
数年前、東京で関連テーマの小展を観ていた。
しかしどうやら、この大がかりな特別展はまだ観ていない。
さらに主催者を調べて、これは東京へは巡回してこないかも
知れないと思う。
隣町で訪ねる予定の、前衛アーティストの展覧会を朝いちに繰りあげ、
時間と体力に余裕があれば、2つめに回ることにする。

疲れと暑さと空腹に、ロック2杯はきいた。
熟睡。
2007-08-20 [ Mon ]


出発10分前に気が変わって、rimowa salsa からパッキングしなおした070818_1030~01.jpg
百戦錬磨のピギー。
写真では fragile の赤札は1枚しか写ってないが、実は2枚ついている。
つけておいてある。
JAL のと ANA のと。
お高い日本のキャリア(国際線)には乗ったことがないのだけど、
バゲージ・クレームで出てきたら把手が伸びなくなっていたのは
どっちの会社の共同運航便だったか。
片脚も折れていたのだったか。
東洋人なんてめったに降りないだろうローカル空港の夜の空港事務所で
疲れと怒りで情けなくなって、現地語で啖呵きりながら
自分までピギーに膝蹴りかましてたのは覚えてる(照苦笑


資料と小さいとはいえ寝袋がないと
嵩も重さもぜんぜん違う~~と思ったが
 <今回は寝袋の代わりに、2000cc のミネラル・ウォーターが in
帰りついたアパートメント、ev がないので4階まで運びあげたときの
懐かしい重たさよ。
懐かしいわけだ。
旅行中に増えたのは、ひたすら紙ばかりですから!
でもこいつを連れていって、ほんとうによかった。

画像中、上にとってつけた街歩き用の中トートには、
500cc に詰め替えた水を今回は2本(最終日は3本)と、
直射日光&冷房よけスカーフを1枚(同2枚・笑)。
それから、けっきょくいちばん便利な薄い綿ローンのハンカチを2-3枚。
全天候型装備と言われるわけだが、やっぱりいいんです、これで。
最終日はむしろ冷房が辛く、上り列車では
黒いピギーをオットマンがわりに、赤と黄のスカーフで膝と肩を包み、
ベルギーもしくはドイツ国旗カラーのミィラと化していた。

酷暑バテで疲れているのか免疫力が落ちているのか
汗に反応したのか <たぶん全部
使い慣れたはずの基礎化粧品にかぶれた肌で出たという、
涙の旅行のスタート。
おかげで avenne しか使えなかった。
あと、水だけで溶いたクレィ2種類。
予備のつもりで持っていったのだけど、
けっきょく毎晩お世話に。
1-2分でも陽傘をささずに日なたに出ると
じりじりと焦げつきそうな毎日、
ほんとに服の中まで灼ける。
で、帰って上半身クレィ・パック。
これで真っ赤になったのがすっと和らぐ。
もちろん、深夜戻った自宅でも。
クレィ様々だ。
ぁ、陽灼けどめ塗れって、今年の私には言わないでください。
塗ったら皮膚呼吸できなくて、窒息死してるはずです。
悠久生物のように(激違

夏用&旅行用 birkenstock が壊れている(修理不能)ので
迷った末持たずに行った。後悔。
ホテルのスリッパは、履くとかえって疲れと痛みが増幅。
部屋では素足で歩く。
やっぱり新しいのを買おう。
あと、スクラブも持参すべきだった。
市内も美術館も含め(2日で3つは、人生新記録だ・笑)
休憩しながらとはいえ、ひたすらひたすら歩き回ったのだから。
2007-08-18 [ Sat ]
070817_0631~01_0001.jpg 070817_1649~01.jpg 070818_1137~01.jpg


〔foto left:これ欲しさにお城の売店へ行った 奴隷 土鈴.
 天守閣は登らず踵返し〕

「前に・・・・・・会ってますよね?」

〔旧い知人と、これはすれ違いだなぁっと思った最後の瞬間に
 どうにかハイ・タッチ的偶然接近遭遇成功.
 そこで彼がついてきていた前衛アーティスト氏、
 「初めまして」と挨拶した私に↑のように.
 社交辞令か、以前から展覧会を観ていたと上記知人氏が言ったのか.
 代官山、佐賀町、Ffm と作品は観てきたし、
 佐賀町で作品の前でバンド演奏していたのは覚えているが、
  <佐賀町っていつよ(爆
   << このギャラリーは新進気鋭アーティストの登竜門的スペースだった
 そのとき知人氏に紹介されたとはっきり記憶しているのは、
 戸川純もしくは YOU 似の個性派美人だけ・・・(微笑

 それぞれの街で、たとえ共通語を話していても
 微妙な言葉のアクセントを楽しんでいたが、
 アーティスト氏の話し方にひょいと懐かしさを覚える <ある意味啄木風
 前日、地元のおねえさんに「あなたの話し方憧れる.
 東京でしょ?その、ちょっと引いた感じがいい」と言われた私.
 tv インタヴューのときと違い、長年の親友と一服していた
 アーティスト氏は肩の力の抜けた風で、あーこういう処においてみると、
 なるほどアズマビトってやっぱりこうなんだと・・・
 自論である「あずまびとの引きや照れ」を自他に再認識した.

 それもだが・・・「前にあった」「つながった」体験満載だった
 今回の旅.満載すぎて別 log がいくつか要りそうなのだけど、
 アーティスト氏の展覧会から、前日別の友人に勧められた
 「話題の展覧会」へ市内移動中に見つけた Nana(N. d.S-F.)
 (foto middle)はその一例.
 最初はかすかな不快感と、自分の感覚を閉ざしてしまいたい
 欲求を抱いた Niki の作品だが、何度か遭遇を重ねるうちに慣れ親しみ、
 今は自分の肌の下に入ったというか、私の中にあるものが具象化すると
 たしかに Nana になる、感覚.
 だからこそ最初のとき感覚を閉ざしたい、肌の外においておきたいと
 思ったのだろう〕

禁煙席のないスタンド・カフェで窒息中。
在来線でコトコト移動するつもりだったが、
時刻表をめくって計算しているうちに断念。
今日じゅうに江戸へ戻るつもりなら(笑
もうすぐいちばん速い列車が来るので、
エスプレッソ喫みほしてここも脱出。
かの地にも Nana はいたんだったかしらん?
09:32

〔残念ながら Nana には会いませんでした(笑
 この地を訪れるのは、ロー・ティーンの家族旅行以来.
 ってことはほとんど、今回初めてみたいなもの(笑
 ひと言、実り多き1日だった.抱えきれないほど.
 昔の印象では(70年は草木も生えないと言われた街に奇跡のように)
 咲き誇る赤い夾竹桃が鮮やかだったが、今回は
 前の滞在地であちこちに見かけたきり、
 この街で眼を楽しませ、爪先を涼ませてくれたのは美術館の借景で
 旧藩主庭園の槙の白く粉をふいた細い葉と、まだ薄い緑の松かさ.

 美術館に予定以上に長居したが、外はまだ濡れたように暑く.
 トラム(foto right)で遠回りして、車窓に流れる街の風景を楽しみながら
 移動.
 これは私の定番のお遊び.生まれ育った東京でも(笑
 それに日中40℃になんなんとするこのお天気では、
 直射日光を避けながら市内見物をし、ついでに(笑)移動もできる
 バスやトラムはまさしくオアシス.
 路線バスは、地元の人の日常も見られるし.

 私の好きなアーティストがデザインした橋(昔はそうと知らずに
 渡ったが)は時間の都合で諦めたものの
  <オブジェは美術館の常設で邂逅
 一瞬焦って車窓風景を忘れ、携帯で東京駅発の終電を検索(爆
 まぁそこまでのことにはならず-そうなったらなったで、急遽ここに1泊の
 つもりだったが-、中央駅で荷物をとり、おみやげも買って、
 バスでいえば「青」、東京行き最終より1本前の超特急に滑りこむ.
 最後に観た美術展のカタログをしっかり抱えて(照〕

19:33発車、20:08座席 get。
覚悟してたが、今日の長距離移動は立ちっぱなし。
でもこれで大江戸のシンデレラにぶじなれる。
2007-08-13 [ Mon ]

070810_1941~01.jpg     528489895_43.jpg


こないだ高層ビル街で見た、建設中の新ビル。
某大手保険会社の本社ビル(持ちビル)が退去した跡地。
テナントに出して土地に稼がせる腹づもりなのだろうが、
本社はどこへ移転したのか知らない。
それよりこの工事現場、
斜めに白い「骨格」がクロスしているのは
テーピングというかバンソコというか、
新工法による作業用の補助(補強)鉄骨なのかと思い、
撮影後近づいてみたが、建設計画の完成予想図によると
これもデザインの一部らしい。
この夜は遅くまで30℃を下らず、じっとりと濡れたような空気だったが、
夏のクリスマス・ツリーがほんの少し、涼を贈ってくれた。
工事現場の前には大型バスが2台、
若い人たち---たぶん大学サークルのメンバーが
嬉しいというよりちょっと疲れた顔で、荷物をトランク・スペースに
積みこんでいた。

たぶん4年前の夏だったと思う、
南の州都でバーゲン品を買い、連れて帰ってきたきりの
rimowa salsa を開けてみた。
帰国直後から怒涛の日々が続き、当座いらない旅行用品や資料を
入れっぱなしにしていたもの。
そのトランクの底に横たわっていたのは、rotring の30cm定規(笑
持っているのすらきれいさっぱり忘れていたけれど、
買ったのは覚えている。
帰国直前の慌しさのなかで、たしか郵便局の売店にあったような。
ただし、なんで必要だったのかが朧な記憶。
同時多発テロ以降、機内持込サイズの制限が厳しくなり、
買ったばかりのピギーが引っかかるかどうか、不安になったのかも。
欲しくて欲しくて買ったピギーだし、店では大丈夫と言われたものの。
それくらいでなければ、離陸1-2日前にわざわざ長い定規まで
自分で買って、測りたいものが他にあるとは思いつかない。
必要になったことなど、それまでなかったから。

けっきょく、テロの標的になりやすい某メジャー・キャリアの
チェックもなんなく通過し、ピギー2台に
小旅行用ショルダ(荷物行方不明時の緊急用)と、過積載で成田着。
いつもはピギーは1台におさめるのに、
別郵送用の荷作りをするのももうヤんなったのだろう、自分。
もう1個のピギーはたしか10年もので、
壊れたり壊したり壊されたり、そのたんび修理して、
満身創痍の古武士の風格である(笑

victorinox はたぶん15年くらい前、これも帰国直前に買ったもの。
荷作りに必要になったからで、以後どこにいても重宝している。
飛行機に乗るときも、カウンタで預ける荷物に入れておけばお咎めなし。
ふだんはレター・オープナに使っている。
オーストリア観光局でもらった "e-mail opener"、
"@" がオーストリア Austria の頭文字という趣向なのだが、
紙を切るには向かない(笑
洋紙だと切り口がぎざぎざになってしまうし、
たとえば和紙なら不揃いな切り口も風情かと試してみたら、
繊維が長いので引っかかって切れなかった。
デザインは気に入っているので、いつも手もとに置いているうち、
使いもしないのに細かい傷がついて貫禄が出てきた(笑
2007-08-08 [ Wed ]

こうしてふたたび巡りきた夏は


ほらこんな処にこんな花がと
異国の庭で指さした白い花
あれもこれも ほらこんなにと
異郷の野で手わたした赤い実 青い枝

重苦しい夜気からそっとかばうように
温かく潤んだ眼 声



so schmilzt mein leid sanft in deine traenen
und meine traenen fliessen sacht in deinen armen

ことだまを淡き衣にくるみしてやりとりしつる指なにをか想はむ

漕ぎびとは舟を静かに波に揺らしつ

傷つかぬやう 傷ははやくなほるやうにと


zum abschied kuessten mich deine worte so zart an den augen


そうして朝は いつも敷居の上に立っている

2007-08-05 [ Sun ]

狭苦しい廊下の突き当たりに窓があって、この季節には緑が勢いよく繁っている。
その廊下いっぱいに大きな背中が光を遮っていた。
1つのドアの前で立ち止まり、鍵を開けようとしている。
ドアに手をかけたまま、こちらを向いた。
逆光で何も見えないけれど、誰だかすぐにわかる。
誰が上がってくるのか知っていたようにごく自然に振り向いた、その
光と緑の額縁をきれいに切り抜いたシルエットに、ただ黙って微笑を投げた。
2007-08-03 [ Fri ]
518709783_97.jpg     518709783_156.jpg


最初に手が伸びたのは
バーボンだったが、そういえば葉月に入ったので
韓国焼酎をロックで。
瑠璃色の切子が、からから鳴る。
木槿も葉月を待ちわびていた。

fotos:宗旦槿

*
よゐ風に梳りたるむくげかなひとよひとよの玉の緒結びつ
          2007/08/04 08:15 (Sat)
2007-07-31 [ Tue ]

あなたは
パンの要る人に石を与えてはいけない
魚の要る人に蛇を食べさせてはいけない
2007-07-25 [ Wed ]
水たまりの詩

雨があがって
陽が差してきたら
ボクの上をだあれも歩かなくなって
ずっと空を見上げていたら
空になっちゃった
(kats_miz)

空の詩

ぼくがいっぱい泣いたら地面におっきな水たまりができて
びっくりして見てたらぼくの顔が水たまりに映って
その顔とにらめっくらしてたら
ぼくが水たまりになっちゃった
(lete)

おぅい~

水たまりくぅん、こっちへおいでよ
こっちはまだつゆが明けていなくて
君の友だちがいっぱいいるよ
友だちと一緒に手をつないで、歌をうたって
楽しくなろうよ
そしたら川を通って、海に出られる
まっしろな入道雲に手をひかれて
お空へ帰るんだよ
(schiff)
2007-07-23 [ Mon ]
070716_1029~01.jpg     koiso_sai.jpg



ワーシャの誕生日。
火曜、天国での誕生日は
スケジュール調整でぽっかり休みになった。
カサ・ブランカをまた飾ろう。

今ワーシャの居る処からほど遠からぬ(笑
樹にやっと咲いた、ピンクの百日紅。
仏さまの庭のすぐそばですが。

もう1つの絵は、『斉唱』。
K.R. にまつわる思い出は、祖父とは直接には
関係ないのだけれど、
また歌を歌ってあげたくなったので。
2007-07-22 [ Sun ]

夏のゆうべは もう 昨日に
この明るい光も 明日には
また 昨日になる

2007-07-21 [ Sat ]
昔、友人の元パートナーが1年間の予定で
日本にやって来たとき、伯父に電話した。
外国語が堪能で、外国人の相手も慣れている人なので
何かあったら力になってほしい、
だから彼女に伯父の連絡先を教えていいかと。

快諾した彼は、彼女の名前を聞いてふっと黙った。
昔同じ名前(人種も同じ)の女友達がいて
兄のようになにかと頼りにし、慕ってくれていた。
できる範囲で力になっていたのだが、
ある時どうしても仕事の都合がつかず、会わなかった。
それから間もなく彼女は死んでしまった。
そのとき会いたいという、どんな用事があったのかの事情も
なぜ死んだのかその理由もわからずじまいだったけれど、
たった1度わがままを聞いてあげなかった後悔と自責の念を
私の頼みごとで思い出したという。
それもあって、私の友人の友人にはできるかぎりのことを
してあげると。
「ただ、あの国の人たちは気はいいけれど
感覚は日本人とはかなり違うからね。
お前もお人好しになりすぎて、
振り回されないようにしなさい。
彼女だけじゃなくてね、あの人たちのことに巻きこまれると
ほんとうに大変なんだよ」

伯父の青春の感傷も、
冷たいエゴイストにみえて実は気弱で人が好いことも
よくわかっ(てい)たけれど、
彼女の名前は、その国ではありふれた名前だ(笑
ただ若くして死んだその女性の話は、
親戚じゅうの誰からも聞いたことはなかった。

知人女性は憧れの日本の現実を知り、
たいへんな失望と苦労を味わったようだが、
誰の助けを借りて苦境を乗り切ろうとするのでもなく、
彼女の決断は契約を中途破棄して帰国することだった。
強烈な第六感に衝き動かされた私が
伯父の忠告を忘れたわけではないけれど
つながらない電話を必死にかけつづけていたちょうどその頃、
彼女は一切合財をひき払って国際線に飛び乗り、
眠り慣れたベッドに倒れこんでいたらしい。
それからさらに何ヶ月もたって、伯父が
「あの話の人はどうなった。元気で頑張ってる?」と訊くので
私は「元気みたいよ---ヨーロッパでね」と答えた(笑

彼女の日本での仕事にまつわるニュースが
先日ひとしきり大きな話題になったのと、
その他あれやこれやで、久しぶりに思い出した。




... was hat man dir, du armes kindlein,
                  angetan? ("Mignon")
2007-07-21 [ Sat ]


 
 
 

2007-07-21 [ Sat ]

風は吹きすぎて
また吹ききたり
そしてまた
さらにまた・・・

wo gehen wir hin?
 --- immer nach hause.

2007-07-20 [ Fri ]
風や光や
色や香りや
形や音や・・・
いろんなものを今は吸いこんでいる時期なのでしょう。
必死に。

革靴の爪先ごしに土のしずくさえ
皮膚が深呼吸しているようで。

そんな感覚や印象たちが遠くない時
ふたたび紡がれ流れだしてくるであろうまで。

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