journal in japan

記憶の中の詩

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2007-08-20 [ Mon ]


出発10分前に気が変わって、rimowa salsa からパッキングしなおした070818_1030~01.jpg
百戦錬磨のピギー。
写真では fragile の赤札は1枚しか写ってないが、実は2枚ついている。
つけておいてある。
JAL のと ANA のと。
お高い日本のキャリア(国際線)には乗ったことがないのだけど、
バゲージ・クレームで出てきたら把手が伸びなくなっていたのは
どっちの会社の共同運航便だったか。
片脚も折れていたのだったか。
東洋人なんてめったに降りないだろうローカル空港の夜の空港事務所で
疲れと怒りで情けなくなって、現地語で啖呵きりながら
自分までピギーに膝蹴りかましてたのは覚えてる(照苦笑


資料と小さいとはいえ寝袋がないと
嵩も重さもぜんぜん違う~~と思ったが
 <今回は寝袋の代わりに、2000cc のミネラル・ウォーターが in
帰りついたアパートメント、ev がないので4階まで運びあげたときの
懐かしい重たさよ。
懐かしいわけだ。
旅行中に増えたのは、ひたすら紙ばかりですから!
でもこいつを連れていって、ほんとうによかった。

画像中、上にとってつけた街歩き用の中トートには、
500cc に詰め替えた水を今回は2本(最終日は3本)と、
直射日光&冷房よけスカーフを1枚(同2枚・笑)。
それから、けっきょくいちばん便利な薄い綿ローンのハンカチを2-3枚。
全天候型装備と言われるわけだが、やっぱりいいんです、これで。
最終日はむしろ冷房が辛く、上り列車では
黒いピギーをオットマンがわりに、赤と黄のスカーフで膝と肩を包み、
ベルギーもしくはドイツ国旗カラーのミィラと化していた。

酷暑バテで疲れているのか免疫力が落ちているのか
汗に反応したのか <たぶん全部
使い慣れたはずの基礎化粧品にかぶれた肌で出たという、
涙の旅行のスタート。
おかげで avenne しか使えなかった。
あと、水だけで溶いたクレィ2種類。
予備のつもりで持っていったのだけど、
けっきょく毎晩お世話に。
1-2分でも陽傘をささずに日なたに出ると
じりじりと焦げつきそうな毎日、
ほんとに服の中まで灼ける。
で、帰って上半身クレィ・パック。
これで真っ赤になったのがすっと和らぐ。
もちろん、深夜戻った自宅でも。
クレィ様々だ。
ぁ、陽灼けどめ塗れって、今年の私には言わないでください。
塗ったら皮膚呼吸できなくて、窒息死してるはずです。
悠久生物のように(激違

夏用&旅行用 birkenstock が壊れている(修理不能)ので
迷った末持たずに行った。後悔。
ホテルのスリッパは、履くとかえって疲れと痛みが増幅。
部屋では素足で歩く。
やっぱり新しいのを買おう。
あと、スクラブも持参すべきだった。
市内も美術館も含め(2日で3つは、人生新記録だ・笑)
休憩しながらとはいえ、ひたすらひたすら歩き回ったのだから。
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2007-07-13 [ Fri ]

artists_img_08_mondnacht_aivazovskj.jpg
(I.A.: Moonnight)
http://www.rusmuseum.jp/artists.html#name4

泳ぎたくなるような
しまい梅雨の、それでも晴れた午後

やはり嵐にもまれる帆船と
避難の小舟の絵につかまってしまい。

そのあとしばらく、澄んだ月夜の絵で心静めていた。
手前には帆をおろした船の甲板に、赤い灯り。
奥には帆を上げたままの船。

水面からじっと月を見上げたら
蜜色をした光が存在の奥の奥まで
ひたひたと浸してきた。



*
これだけは観たくて、最後の最後に駆けつけた美術展。

レーピンやクラムスコイの実物に触れ、あるいは
学問的には古典主義とロマン主義は(とりわけ文学)
理念上は同じ基盤に立ち、思潮に属していると理解していても
やはり感覚的にうける印象のギャップはその二者間が
いちばん大きい、
ロマン主義が生まれてしまえば、あとは
写実主義、民族主義、表現主義・・・
そしてファシズムにせよコミュニズムにせよ、
全体主義の政治理念が要求するキッチュな写実主義は
むしろ必然的な流れだったのだと再確認し、
 <今回の展示は表現主義の手前あたりまで


でもやはりどうしても観たかった、なかなか観られないものと諦めていた
アイヴァゾフスキィの前で多くの時間を過ごす。

たしか小学生くらいの頃から、好きでずっと手もとに置いていた
『第九の怒涛』のカードが、どうして家にあったのかそういえば知らない。
『第九の怒涛』もサンクトペテルブルクにあるが、
私が観られた彼の海景画は、それ以外の4点。

その中で『月夜』は静謐な海を描いたという点で異色の作品と、
今回の美術展に関する日本語の寸評では口を揃えていた。
だが最初に前に立ったときは失望した。
「異色作」というから期待したのに。
C=D・フリードリヒは好きだが、ここにC=D・Fを観にくる
つもりはなかった。

ちょうど階段の手前部分に展示されていたので、上りつ下りつ、
いろんな角度から眺めてみた。
階上の手すりに凭れて、飽きたとはいっても月夜の廃墟とは、
ともあれ大好きなおきまりの画題じゃないのと思う。


そんなたったひと言で「片づけて」しまいたくなくて、
またもう一度低い視点 frog-perspect に戻ってみた。
初めてC=D・Fの「廃墟」シリーズに邂逅ったころに。
その同じヴァイマールの、リスト・ハウスの前で廃墟
--実は廃墟を模した風景式庭園の、今風にいえば「インスタレーション」
だったのだと、あとから知った--の周りを飽かずうろつき、
珍しく記念写真まで撮らせたころに。
光さえささない嵐の海にもまれる船を
肩ごしに見ていた日々に。
そして帆船上の人、あるいは救助ボートの上で凪を迎えた人の、
水面を這うような眼の高さに。

この凪いだ海が、「第九の怒涛」が過ぎたあとの平和な海だという
解釈があるなら、
それはあまりに「第九の怒涛」の謂れに、あるいは
ベートーヴェンの『第九交響曲』の楽章構成にこじつけすぎた
図式 cliches だろう。
じっさい制作年代も、『月夜』は『第九の怒涛』(や、その他画家が
荒れた海を好んで描いた時期の作品)よりもずっと早い。
でも絵の前で膝を折って、水面から月をまっすぐに見上げると、
この海はひたすらひねもす長閑にたゆたっていたのでは決してなく、
この世の終末のような大時化 Noah's Deluge のあとに訪れた
静謐のなかに横たわっているように、やはり感じられる。
2007-05-27 [ Sun ]
070527_1721~01.jpg
('Wilkhahn-Cafe', usually bookstore-cafe 'On Sundays')


http://www.watarium.co.jp/exhibition/0702_taut.html
http://www.watarium.co.jp/exhibition/index.html

(i write e'n bisserl more later ...)

(and e'n bisserl later ...)

先が見えなくて進まないと思っていた翻訳、
先が見えたら急激に進んで、
もうちょっと見えたらまた進まなくなった(自爆

で、見切り発車で美術展へ。
27日最終の「ブルーノ・タウト展」はワタリウムにて。
千駄ヶ谷からのんびり歩いていくのがいいけれど、
今回は外苑前から r246 の交差点を曲がる。

タウトといえば加藤周一の「日本の庭」で
桂離宮論が延々述べられていて、
・・・それ以上のことは思い出せない(笑
高校の授業の中では面白かったひとこまだったし、
あれがきっかけでしばらく加藤にはまったのに。

その程度の認識で、タウトの予習どころか
展示内容もよく確かめずに出かけていったのだが、
桂離宮論にとどまらない、彼の興味と活動の幅広さに魅了される。
ジードルング(集合住宅)の設計や施行も、
やや空想的で宇宙論的でさえある都市理念も、
20世紀前半の時代特有の匂い・・・でも白状すると、
私は決してそれが嫌いではない(笑

星辰にまで到達した彼の思念がインドを経て、
日本やトルコにまで至るのも、
たんに彼がナチスを逃れて外国での流転生活を余儀なくされた、
以上の必然性を感じる。
そしてその結実が大規模な都市計画やモニュメント建築だけでなく、
ボタンやパンかご、階段の手すりなど細部のデザインに表れていく
ことについても。

最上階でタウトの生涯ゆかりの土地の写真や風景画を
スライド・ショーで紹介・・・というのがあり、
いっぺん下まで降りてから観に戻る。
かなり疲れていて、展示室の隅にある段差に腰かける。
---気がついたら、私の真似をする人、続出(笑
というよりこの一角は会期中の前半、熱海・日向邸の
洋風客間を原寸大で再現展示していた場所。
2-3段ほどの段差の好きなところに腰を下ろして海を臨む、というのが
タウトのデザインのもともとの発想だったのだ(エヘン
 <ほんとはそんなことも考えずに、ひょいと腰をかけただけ

足のことも仕事のこともあるのでさっさと見てさっさと帰るつもりが、
気がついたらたっぷり半日を、小さな美術館で過ごしていた。

ただおかげで、「日本の庭」の最終行、
「特殊は普遍に通じる」という一文の意味が
タウトに即してすっと腑に落とせた気がして、
久しぶりに加藤を読みなおしてみようかと思った。


あちらこちら発想(妄想ともいう)は勝手に広がり、
Rhodia のパッドにタウトの言葉やその他のメモが
めちゃくちゃに走り書きされる。
でも、ローディアもなんだか喜んでたみたいょ?(微笑

写真は地下のミュージアム・カフェ。
バウハウスの流れに属するオフィス家具ブランドの製品を
「実体験」できる(期間限定)というので、
カプチーノを注文してひと休み。
吹抜けから見下ろす、美術書店や古書店などによくある
天井までぎっしりの本棚と可動式の梯子という古典的な内装と
モダンなオフィス家具とのコントラストが面白くて、
スナップ・ショットを1枚。

そうそう、私これ式の梯子から落ちかけたことがあるんです。
しかもてっぺんぺんから。
ヨーロッパの某図書館で資料を漁っていて、
疲れてふらついた拍子に梯子ごと後ろに倒れかけ・・・
とっさに手すりをつかんだのでセーフ(汗
でもものすごい音がして、周りの人がぎょっとして見上げていた(照笑

ヨーロッパといえば、タウトの集合住宅作品を見ていて、
ベルリーンをもっと見てくればよかったと思った。
新装なった州立図書館で、あたしのベルリーンの天使に
逢えるかもしれないしね(ヲイ
知人(の令夫人)が勧めてくれた街はずれ(旧東)の
プレンツラウアーベルク地区も、
乗ってきた路線バスが都心に戻るので慌ててまた乗ってしまった。
前夜の TV で「今ベルリーンでいちばんホットなスポット」と
紹介されていたが、レポータが喚きちらしていることは
支離滅裂でよくわからなかったし、
令夫人もプレンツラウアーベルクの詳しい説明より
おすすめカフェの地図描きに熱中、
私もそちらのほうに気をとられてしまったのだった(照笑
帰国してから、東西統一~首都移転の再開発でもとの住人が出ていった
「廃墟」状態のところへアーティストやクリエィタがもぐりこんで、
自由気ままな空間を創りだしているエリアだと知った。
・・・で、そのグランド・デザインを1920年代に描いたのが、
ブルーノ・タウトでしたか(無知
当時は社会改良の理想を抱いて、ふつうの市民が
人間らしく生きられる街として。


あともう1つ、27日までの展覧会があるはずだった。
思い出せないのでタウトに集中したが、ミュージアム・ショップで突然
「あいみつ!!!」と閃く。
慌てて検索したら、大当たりだ。
ただし確認したのが17:02、展示は17時で終わったところだった(愕然
いろんなところで少しずつ作品を見かけて気になっていた近代画家の、
生誕記念の大回顧展(悔
まぁ、どうにかしてまた別の機会を。

帰ってシャワーを浴び、左小指と両足の裏に湿布をし、
仮眠をはさんで翌朝翻訳をしあげる。
1週間(実働時間は言えない・呆苦笑)で半分、
残りの半分をひと晩で訳したゎょ、ママン(誰
順調にいっていれば土日で靉光もタウトも観られたはず、というのは
ただの非現実的仮定。
美術館で半日いい気分転換をしたから、
あとの仕事がはかどった・・・はい、言い訳ではなく(居直り

(mo. 28. mai)

[補足]
こないだうちから引っかかっていたキー・ワード
「減築 企業誘致 ライネフェルデ」を今日やっと検索:

コラム-団地再生を考える-
旧東ドイツ・ライネフェルデに学ぶ減築とデザインを駆使した再生手法


そっか、そういうことか・・・
都市計画つながりで、ここに貼っときます。
(do. 31. mai)
2006-05-28 [ Sun ]
Kaethe Kollwitz


最初は行くつもりがなかったのだけれど、
表現主義が何となく恋しくなって(笑)最終日に駆けつける。

奏楽堂の前を通って、上野の森の最奥部。
意外と混んでいる。意外と広い。
「ヨーロッパでも類を見ない大回顧展」だという(汗

同じ表現主義の K.K. は大好きで、
思えば N.d.S-Ph. の回顧展で Sprengel へ行ったとき
ミュージアム・ショップで K.K. と E.B. のスケッチ集を
手に入れた・・・そんな縁もあったのよね、と。

top に使っていたこともある K.K.(現在はページごと削除)と同じく、特に彫刻作品は手がとても印象的。
ただ K.K. の作品には自分もいっしょに抱きしめられたくなるけれど、
E.B. の作品はこちらが抱きしめたくなる、あるいは
掌に包みこみたくなる。
その違いは?
(「手」についての考察は後日・殴)

簡素でいて観念的な作風の裏に、
最後には「頽廃芸術」として迫害、破壊された、
K.K. と同じく激しい時代を生きたというだけでなく、
E.B. の個人史もまた激しいものがあったのだと知る。

後半生、第1次大戦の戦没者慰霊像の面だちが K.K. に似ている
という解説を読み、ぎょっとする。
隣の、60代とおぼしき学者らしい男性はウンウンと頷いてるし。
 http://www.ernst-barlach-stiftung.de/pix/Schwebende.jpg
 http://www.ncf.ca/~ek867/kollwitz.jpg
 http://www.ifa.de/kunst/kollwitz/pics/selbstbildnis.jpg
  (K.K. による自画像というかセルフ頭像)
よく知りもしないのに E.B. を見たかったのは、
そうかそういうことだったのか・・・

作品名の訳語がおかしいのがいくつか気になっていたが、
上映ヴィデオはなんと原語のまま。
音量をしぼってあるので、最前列のベンチの前に座りこんで
耳をすます <ジーンズでよかった(笑
私に言ってくだされば、字幕かナレーションの下原稿くらい
作ってさしあげましたのにー <75%本気

ま、彼の作品に散見される「漂う人」のモティーフのデジャ・ヴュ感、
その正体は「ツェッペリン号」だったらしいとわかったのは、
大きな収穫でした(笑

美術館の1階カフェは・・・どうやら一部は大学カフェらしく、
掲示板に乱雑にビラが貼られていたり、
日曜というのにテラス席で教授と学生が何やら打ちあわせをしている。

苦手なはずの湿った椎の香りが、今年はなんだか嬉しい。
他にもいろんな樹や葉の香りが漂っていて、いい気分。
桜木町・谷中~根津~・・・と歩き
(もぉ歩かないと、別の意味で具合悪くなりそうでしたぁ・笑)
ほんとうは本郷まで行きたかったが、
千駄木からメトロに乗る。
途中の乗換駅のエスカレータは、通るたびに懐かしい気分に
なっていたところ。
そうだ、N.d.S-Ph. のグロッテと花火を見物したあと、
終列車に乗ろうとこーんなエスカレータをがんがん駆け上がっていた
夏の夜、私の腕には K.K. と E.B. の素描集が
しっかり抱かれていたのだ。
スロヴェニア人の音楽青年にお金を渡してまでゲットしてもらった
(こういう人種には、芸術家や芸術作品に対する私の執着が
わかってもらえると思ったので)スケッチ集も、
どこがいいのだかわからない、
というか2人ともそんな名前は知らないという仲間も
少なくなかったけれど。

10年ほど前には無差別テロに巻きこまれた駅の1つ、
でも個人的にはその日帰り旅行のディテールを思い出すために、
今日は分厚くて重たい回顧展のカタログを抱えて
ここを通ったのかもしれない。

はい。テロに遭った人たちのインタヴュー集、拝読しました。
2006-05-23 [ Tue ]
EU Film-Days 私の楽日(笑

あまり本調子といえなかったが朝から走り回り、
走って走って上映会場にたどり着き、
じーちゃんのしゃっくりを聞くためになぜここまで・・・と
自問していたが(苦笑
そういう人、意外と多かったのである。
(4年前のW杯では試合観戦会場になったらしいホール、
スタッキング・チェアをただのフロアに並べて、
座り心地も・・・だが音楽や映画鑑賞向きではない)

『ハックル Hukkle』(2002年ハンガリー)
 公式サイト(英語版あり)

「セリフなし」とあるが、
じーちゃんのしゃっくりだけでなく
村の生活やまわりの自然の音がていねいに描かれて
すべてを美しく映す(蛇の鱗や豚の睾丸まで・・・)
映像と調和している。

それが時々、フィルム編集室やレントゲン写真、
村の工作機械や長閑な風景を破る飛行機の爆音に遮られる。

なぁ~んでもないけれど、ほっとする作品。
マジャール語の民謡(これは字幕つき)にとどめを刺されて、
マルタ・セベスティエーン Marta Sebestyen をまた聴きたくなる。

わけのわからない映画なのに、エンド・タイトルが延々と流れても
ほとんど席を立つ気配がなかったのも「笑」。

晴れているせいか246沿いのほどよい明かりか、
夜空は澄んで優しい藍、椎の青臭い匂いもふしぎに心地よかったが、
断続的に咳の発作がまだ出るので、JR 駅までの散歩は諦める(涙

帰ったら薬を服む体力もユーカリをたらす気力もなく
意識を失ったが、朝の寝覚めはリラックスしてすっきり。

「記号と音」の続きは、たぶんそのうち書けると思います(笑
最後にセリフのない作品を選んだのも、意識的にはそのつもり。

(他に観たのは『眠らない夜 Set Point』(2004年エストニア)・・・
・・・う゜ーん、なんだか救いがなかったのである。
サスペンス・タッチで75分、日本の2時間ドラマに翻案できなくもなさそう
だが(たとえば『ベルリン天使の詩』→『シティ・オヴ・エンジェルス』
くらいの差異感で)、そういうパターン化では解消しきれない
後味 nachgeschmack がざらりと残った)

ドイツ映画祭

個人的にはしばらく、文化生活は美術展やコンサート、
読書や音楽鑑賞を希望・・・
2006-05-21 [ Sun ]
FA-niki-de-st-phalle-3.jpg


Niki de Saint-Phalle、没後日本初の回顧展。最終日(笑

Sprengel や Herrenhaeuser 庭園@Hannover で
Niki づくしの1日を過ごした('03 夏;Niki は '02年5月没)ときの
強烈な印象はなかったが、Tarot Garden の習作やモティーフを
いくつか見られたのがとりあえず収穫。

The Tarot Garden

カタログは・・・上記お庭で grotto に入ったときの感覚
 http://www.9staedte.de/__we_thumbs__/1636_2_Hannover_g.jpg
 http://www.niedersachsen-tourism.de/imperia/md/images/reiseland/regionen-staedte/regionen/hannover_region/287.jpg
"Hon" に遭遇したときのそれにはかなわないだろうが・・・)
を矮小化したくなくて、手を出さなかった。
2006-01-23 [ Mon ]

2004年ドイツ
監督、脚本、プロデューサ:H・ヴァインガルトナー、主演:D・ブリュール
2004年カンヌ映画祭コンペティション部門出品

知人が昨夏に観て「面白かったわよー」と言っていた作品。
私は何となく惹かれながら「革命」という陳腐な邦題に引いたのと、
同じ『グッバイ・レーニン!』主演 Daniel くん(笑)の主演作なら
別のを観たいと思っていたのでそれきりになっていた。

・・・面白かったです(笑
「何も考えずにボーッと流せるロード・ムーヴィーが
今めちゃくちゃに観たい!!!」とこないだ叫んでしまったので(笑
分析癖は極力排してただ楽しむ。
とはいえ完全に排せなかったのが悔やまれるところで(苦笑
『俺たちに明日はない』を彷彿させる場面があったり、
「ナンダこれは浅間山荘か!?」とツッコミたくなるくだりがあったり etc. etc.

ヤンとペーターは豪邸に忍びこんでは家具の配置をめちゃくちゃにし、
「贅沢は終わりだ」などと警告メッセージを残して去る
「愉快犯」的行為を繰りかえしていたのだが、
ペーターの恋人ユールが交通事故の賠償責任を負わされている
会社重役ハルデンベルクの邸に腹いせに押し入ったことから
事情が変わってきて、ハルデンベルクを誘拐することになってしまう。
アルプスの山荘にこもって奇妙な共同生活、
現代社会批判の議論をするうち、実はハルデンベルク自身が若い頃は
"angry young men" の1人だったことがわかり・・・
・・・(以下ネタばれ自粛)

筋だてじたいは、それほどの surprise はない。
最後はどんでん返しだとか(劇場公開のときのキャッチ・フレーズだったらしい)
知人の「最後が・・・mmm」という思わせぶりな笑いも
「納得いかない」というネット上の多数のコメントも・・・
ぃゃ私最後まで、surprise はまったく感じなかったんですけど <オトナッテイヤッ!(爆
(上記知人女性も、私よりずっと年上のはずなんだけどな・・・笑)

ユールはグローバリゼーション反対デモに参加しているが、
1960年代後半の学生運動には懐疑的。
ほとんどの連中は「日和った」じゃないかなどと言いあっているところへ、
その最たる存在としてハルデンベルクが彼らに深く関わってくる。
しかも若い頃ヤンチャをしていただけにただの俗物おやじより始末が悪く、
手足の自由を奪われても、眼と耳だけは狡猾に
3人の様子をじっと窺っているのだ。

けれども、いったんは事態の急展開に混乱していたかのようなヤンたちも
ハルデンベルク1人におめおめ腕を捻りあげられるほど、初心ではない。
"don't trust over thirty" と嘯いていた往年の若者はいかにも
"don't trust under thirty" と言いたげだけれど、
そういう世代間のコンフリクトも、ちゃんと代々うけ継がれるのですよ、オジサマ(笑

そう思うとラスト・シーンも、エンド・クレジットの背景も、
私にとっては納得以上の「してやったり」。

そんな世代間の相互不信も、犯罪や三角関係も後味よく見せてくれるのは
3人の若者も、往年のヒッピー姿からすっかり変わり果てた(笑)実業家も
それぞれ自分の信じるものや愛するもののために一生懸命生きているから、
そしてそんな矛盾だらけの人間の生き方を温かく見つめる
監督ヴァインガルトナーの眼ざしのおかげだろう。
(これはブリュールの出世作『グッバイ・レーニン!』(W・ベッカー監督)にも通じる)
2005-12-18 [ Sun ]
(東京国立近代美術館・2005.10.25 - 12.18)

Bernd & Hilla Becher 以後、
夫妻を含め現在活躍中の写真家10組11人の作品を集めたもの。
とはいえ知らない名前ばかりだが、開館したばかりの
ミュンヒェンは Pinakothek der Moderne 収蔵作品が多いのに
好奇心をそそられていた。

最年少の1972年生まれをはじめ、ほぼ半数は旧東独出身だ。
写真や新技術にさほどの思い入れがない私でも、
若手のデジタル作品や、その加工やコラージュ技術には
一定の慣れというか免疫があって、ナルホドと思いながら見てしまう。
Andy Warhol にこんなタッチがあったわよね、
こんな色調の作品、有名よね・・・風のとか(笑

それより気になったのは、Becher 夫妻(30年代前半生まれ)や
Michael Schmidt(45年生)。
「タイポロジー」と称して採炭場や給水塔をひたすら撮りつづけたり、
「統・一」というシリーズもので、
報道写真の切抜と自ら撮影したポートレートやスナップを並べたりする。

「絵を描けないから写真を撮るのだ」という言葉に触れたことがある。
たしかに機械を介在させるぶん、対象を「写す」テクニックじたいは
よりニュートラルなはずなのだけれど、
例えばシリーズ作品の1枚2枚をとり出して眺めても、
素人が漫然とシャッタを切った写真とはまったく別物ができてくるのは
(もちろん技術の問題だけでなく)なぜだろうと、考えた。

それは Becher や Schmidt よりずっと若い H=Ch. Schink(61年、DDR 生まれ)が
旧東の田園風景を切り裂いて貫く「統一交通プロジェクト」の巨大人工建築を
あくまで淡々と、端正にとらえた写真たちにも言える。

たぶんそれが凡庸と才能、アマチュアとプロフェッショナルを分ける
さまざまな要素の1つであるのだろうけれど。

併設は、20世紀初頭の写真家 August Sander のポートレート展。
1階から持ってあがってきた疑問の答がじわりじわりと蠢く感触はあったけれど、
ソファに腰をおろしてメモをとっていたら
閉館アナウンスが入って追い出されてしまった。

外はもう暗くてしんしんと冷たい。
ただ内濠通りの夕景はいつ見ても美しく、
古くさいセミ・オート・カメラで2-3枚撮る。
(フィルムぜんぜん減らない~・汗)
2005-11-03 [ Thu ]
以前後半を見逃したドラマの地上波再放送にやっといき会う。
最初の部分を朝の2度寝で見過ごしたが(笑
本筋に入る前に運よく目覚める。

第2次大戦でシベリアに抑留された日本人軍医と
ルーマニア人捕虜の友情の物語。
(ルーマニアと第2次大戦の関わりは、私も知らなかった)
ドイツ語ができるというのでアナトーリアはトシオに親しみをもち、
お互い片言の外国語で身の上を語りあい、
アナトーリアは許嫁の指輪をトシオに託す。
そこに流れているのが、ドイツ人捕虜が手製のヴァイオリンで弾く
(やはりアナトーリアに教えられた)『望郷のバラーダ』、
ルーマニア独立運動時代の曲。

『バラーダ』のことは高樹のぶ子『百年の預言』で読み
(というよりそれが目あてで、あまり得意でない女流作家の
作品を買い)、天満敦子の CD も買った <ミーハー
謎の楽曲を追い、楽譜を探して歩く設定は面白かったが、
やっぱり彼女の描くラヴ・シーンは好きになれない。
ドラマと小説の違い(しかも別の作品・笑)を知った上で
こちらのドラマのほうが安心して観られた。
(『百年の預言』の映像化作品も見てみたい気はする・・・
主演女優は誰がいいだろう・・・)

それから50年以上が経ち、ルーマニアではクーデタがおき、
トシオは高齢をおしてブカレストを訪ねる。
空港からの道すがら、通訳から簡単なルーマニア語を教わる。
大正生まれの日本人が、号泣と激しい身ぶりで
あられもなく感情を表す。

現代の映像は、NHK の取材カメラと渡辺氏のホーム・ヴィデオによるもの。
ぎこちないカメラ・ワークや割れた音質が、
かえってこんな場面には似つかわしい。

さて。こちらも「外国語」で友情をかわした仲間たちは
どうしているのかしらん。
インドネシア人の友人からは、最近時々メールが来る。
ずっと気になっているのは中国人、
留学時代にいちばん印象の強かった、
ぃゃ外見は磁器のように繊細で楚々とした友人。
アドレスは知っているし、もしそれが変わっていても
なんとか調べる手だてはある。
まずはメールを出してみようか。
彼女ののびやかな筆跡を懐かしみつつ。
2005-06-12 [ Sun ]
♪Berlin ist aller staedte queen!

世界遺産・博物館島 ベルリンの至宝展---よみがえる美の聖域
http://www.asahi.com/berlin/
東京国立博物館・平成館(本日6/12終了)
神戸市立博物館(7/9-10/10)

諦めかけていた美術展だが、
たまたま(笑)最終日に時間ができたので出かける。
やはり行きたがっていた知人も、昨土曜日に
「もう無理だわ・・・」「最終の日曜なんて、混んでてイヤ」と
呟いていたので
当日の朝強引に誘うのも忍びなく、一人で観る。

第2次大戦の戦火に遭い、その後東西の壁に40年以上隔てられていた
「博物館島」の博物館を改修し、コレクションを「再統一」
するにあたって、いわば「引越し興行」のような形で
(ちょうどドイツ年でもあり)企画された特別展。

エジプト~メソポタミア~ギリシァ&ローマあたりで、
いったん挫けそうになる。
4つの博物館のコレクションを1度に観ようとするなんて無謀、
だいたいヴィーン美術史美術館も、17世紀ネーデルラント絵画の
展示室が閉まっていたのにとんでもない強行軍だったし、
ヴィーンに1,2日でも立ち寄るたびに
少しずつ観ている友人のMちゃんは賢明よ・・・と、内心愚痴る。
一昨年夏のベルリーン旅行は・・・まぁいろいろあって、
その時けっきょく不本意にもいちばん足止めを食ってしまった
ペルガモンのギリシァ・コレクションを今回は素通り。
その時ゆっくり観られなかったイスラーム美術の出品
(私たちをふり回したギリシァ人が、
私とスロヴェニア人の携帯をビービー鳴らして
ドコニイルノ、早ク出ヨウと催促したので・苦笑)が
今回は少なく、つくづく残念。

さて、近代コレクション。
・・・あれ・・・
こちらは拍子抜けするほどの薄味。
呼びもののラファエロやボッティチェルリ、レンブラントやマネ・・・は
いるけれど、古代コレクションほど系統だった展示になっていない。
それでも中世~初期北方ルネサンスやビザンティンの彫刻を観、
長年「今さら」と頑なに思いこんできた
19世紀のシンケルやフリードリヒに再会できたのは
個人的には収穫だった。
(もっと個人的なとりとめない感想は、
もう1つの日記に掲載してあります・笑)

まぁあくまで「引越し興行」、博物館によって特別展に出す
作品にムラが生じたのはしかたないことで、
今回見損なったのは次回の来日展に期するか、
またベルリーンに行きなさい、ということだろう。
シナゴーグもユダヤ博物館もまだ観ていないし
(別の機会、仕事でベルリーンを訪ねた時
ちょうど翌日-滞在最終日-出かけようとした日に
イスラエルの高名なラビが亡くなり、
「シオニズム運動の拠点だから気をつけなさい」と言われていた
シナゴーグに入る気になれなかった・・・)
あの町で見残したところは、いくらでもあるのだ。

日本の美術展でいつもながら思うのは、
展示室内にもっと椅子が欲しいということ。
まして専用の美術館、博物館なら。
それから、できれば展示スペース内にミュージアム・カフェを。
どうしてもゆっくり観るという気分でなく、
後ろから心太式に押されるままに
あるいはスタミナ切れがしてきて、
通り過ぎて出てきてしまうのはもったいない。
今からミュージアム・カフェを作るのが無理なら
(まぁ難しいだろう・笑)
何らかの方法で再入場できるようにして、
小休止をとりながら好きなだけ鑑賞を楽しめるように配慮がほしい。
特別展の入場券で常設展も観られるようになっているのは
良心的ともいえるけれど
あれもこれも観て総花で終わるよりは、
じっくり1つの展覧会を見尽くしたいと思う人も、少なくないはず。
2005-05-25 [ Wed ]
(ディート・ツィンザッツェ Dito Tsintsadze 監督;2003年)

about the movie:
http://www.hollywoodreporter.com/thr/icopyright_display.jsp?vnu_content_id=1999884
http://www.german-cinema.de/archive/film_view.php?film_id=953
http://www.acmi.net.au/BFFB55BC96784D9483537DB9F5467447.jsp
http://www.filmcritic.com/misc/emporium.nsf/60e74e041ca9cd6b8625626f0062219f/451da847c02e938488256fce0018d983?OpenDocument
http://www.natfilm.dk/2003/f.lasso?n=3023
about the director:
(interview) http://www.planet-interview.de/interviews/pi.php?interview=tsintsadze-dito


前述↓のとおり、ドイツ映画@日仏会館
玄関横のモニタに、EU の資料映像が流れている。
ミッテランはもちろん、シュレーダーやブレァの顔も。
字幕はフランス語、ドイツ語、英語で。
(演説などの主要部分は、字幕なしである)
スナック・バーのカウンタにいるのは
右耳にピアスでもしていそうな(!!)青年、
つい "espresso doppio!" と口走ったのを
"espresso double エスプレッソ・ドゥプレ" と訂正してくれるが、
おつりを数える口もとは「いち、にぃ、さん、し、・・・」と
呟いている。

舞台は現代のドイツ、どことも知れない中規模くらいの都市。
(同行の知人の耳がベルリーン方言をキャッチ
-ドイツ語+日本語字幕-、
北部なのは確かだが、ベルリーンほどキッチュな町ではない)
映像の輪郭も街や住まいの内側も、やはりこれは
「西側」の映画、「西側」の世界だ。

兵役を拒否し、代役で食事のデリヴァリ・サーヴィスをする孤独な青年、
心や身体をどこか病んだ人々。
謎のうら若い女性、
母は再婚して、肌の色の違う弟が生まれた。
北朝鮮に傾倒する、中近東系の隣人。
自己啓発セミナーの主宰者。
みんな「普通」ではないのだけれど、
トウキョウにも「フツー」にいそうな登場人物たち。

小さな偶然が重なりあい、ずれあって、
ルーカスは少しずつ、「普通」でない状況に巻きこまれていく。

はい。
危惧どおり、期待どおり
筋を見失うことはまったくなく、
オチもきっちりつきました。

***ドイツ映画祭2005「映像の新しい地平 特別編」***
2005.06.04.(Sat.)-12.(Sun.)
公式サイト:http://www.asahi.com/event/de05
2005-05-24 [ Tue ]

(アルギマンタス・プイパ Algimantas Puipa 監督;1997年)

about the movie:
http://www.facets.org/asticat?function=web&catname=facets&web=cinematheque&path=/archive/mar2003/lithuan
about the director:
http://teatras.mch.mii.lt/Kinas/Kinas2.en.htm

(05/22/05 Tokio)
リトアニア映画。
アルヴォ・ペルトの CD を持って出かける。
ドイツ系リトアニア人を父にもつラリョーサと
奇しくも趣味が一致した、エストニアの現代作曲家。

上映会場はスウェーデン大使館。
拍子抜けするほど厳重な警備もなく、
内装はまさしく「北欧モダン」。
ロビーに小学生の声が響いている。
子供も大人も、私の知らない言葉を発しているのは
スウェーデン人なのか、リトアニア人なのか。
建物や人々からたちのぼる匂いも「日本」ではない。
今日の映画はリトアニア語+英語字幕。
感覚をほんのひと時宙吊りにしたくて来た
(ずっと宙吊りは辛すぎる・・・)のだけれど、
さっそく始まってくださった。

最初、台詞がロシア語かと思う。
主人公の父親が KGB に連行される場面、など。
けれど言葉の響きはずっと変わらず、
やはりリトアニア語はスラヴ系なのだと思う。
ほんの片言だけ知っているロシア語やチェコ語に似た単語が
ときどき人々の口から発せられる。

画家タダスが、幼い頃からのあれこれを回想する物語。
預けられた母の郷里の、野中の一本道。
釣りをしようと浮かべた小舟。
恐ろしい夢、不思議な夢。
母と再び暮らしはじめた、都会での日々。

回想の中の人々が、ふいと現在のアトリエに現れる。
釣り仲間の少年。
ピアノを弾く少女。
父を見送ったティーン・エイジの自分に
ビールをさし出したりもする。

ストーリーも登場人物も、ますます錯綜していく。

気がついたらラスト・シーンだ。
これは現〔うつつ〕、それとも夢の中なのだろうか。

出てくると、雨上がりの夜気が椎の匂いを
爽やかに和らげてくれていた。
帰りの BGM もペルト。
数年前に観たチェコ映画もそうだったけれど、
ヨーロッパ映画、とりわけ中東欧
(いわゆる「東欧」だけでなく、
いわゆる「西欧」よりも東側に位置する地域
---アラブ世界の影響を受けた、
現代のギリシァ映画も、私がわずかに知るかぎりそうだ)の
作品は、映像もストーリーも、あらゆるものがファジーにぼやける。
「あなたと話してるとフランス映画の世界みたいだわ」と言った
知人のイメージどころではなく。
(これも私が知るかぎり、いわゆる「西欧」では
「錯綜させるぞ」「暈すぞ」という意志やマーキングが、
必ずどこかに見える)
それが私にとっては、救い。
絶対的な悪も絶対的な善もなく、
骨の髄まで悪人も度し難いほど善人もおらず、
ただそんな人生の移ろいを
涙を流しながらでも、泣き笑いでも
微笑みながら過ごしていこうじゃないか、と無言で囁いてくる。

火曜の最終日は、日仏会館でドイツ映画。
一緒に行く知人は映画が好きで
パフォーマンス・アート全般の通訳経験もある人だが、
個人的な好みはあまり知らない。
こういう設定で、けれどこの日曜ほどの「宙吊り」体験は
きっとないだろうな・・・・・・
2005-02-11 [ Fri ]
http://www.gaga.ne.jp/ibrahim/

もう落ちぶれきってしまったと悲しんでいたオマー・シャリフの復帰作。
おまけにパリの下町を舞台に、トルコ人の老人とユダヤ人の少年の物語
と聞いては、じっとしていられない。
「異郷(性)」もしくは「異邦人(性)」は、さまざまな意味で
私のテーマ、またキー・ワードでもある。

ブルーノ・ガンツ主演(というよりテオ・アンゲロプロス監督作品)
『永遠と一日』のイメージを漠然と抱いていったのだが、
少年モモと娼婦たちのかけあいや、イブラヒムおじさんの飄々とした居ずまいに
失笑や微笑を誘われ、さすがにぽろぽろ流さずにいられない涙(涙腺弱い
です・照)を温かくぬぐわれる。

人と人との結びつきは、たしかに宗教や国籍を超えるもの。
(しつこいですが、「ユダヤ人」は「ユダヤ教徒」のことで、
人種概念ではありません)
(イブラヒムおじさんがモモに「自分はスーフィー教徒(イスラム神秘主義)だから
『アラブ人』=イスラム教徒ではない」というくだりもある)
(ちなみにおじさんのモデルは原作者の祖父で、トルコ人でなかったというが、
宝石職人という職業その他から、ユダヤ人ではなかったかと推測)
けれど愛する者ともっと強く結びつきたいと願ったときに
宗教や国籍や人種がそれを阻むことは、ままある。
移民のイブラヒムおじさんがフランス国籍でないという理由で
役所の担当者に片はじから養子縁組手続を断られる場面は、
さすがにシリアスだった。
"non", "non ...", "non!", "..." の連続で諦めかけたとき、最後に "oui" が
聞けた場面では、「てやんでぇ、これがヨーロッパよぉ!」と
快哉を叫びたくなった(照
末端の担当者に決定権がなく、すぐにオロオロと電話をかけたり
データ検索をしたりするどこぞのアジアの国(2/10日記参照)と、
思わず比較してしまう(笑

東京での上映はとりあえず終わったもののネタばれは自粛しますが、
「モモ」という愛称が「モィシース(モーセ)」だけでなく「モハメッド」の
意味でもあること、
(「イブラヒム」だって「アブラハム」、ユダヤ人の「父の名」だ)
やがて「父」イブラヒムの店を継いだモモが昔の自分とそっくりの少年を見かけ、
「アラブ人じゃないぞ」「またな、モモ」(「父子」の出逢いと同じ言葉)と声をかける
ラスト・シーン、
フランスからギリシァを経てトルコまでの旅を、空の移ろいだけで描いた
カメラ・ワーク、
ローマ・カトリック、ギリシァ正教、イスラム、スーフィーといった宗教を
嗅覚で表現しようとする発想---などなどなど、
すべての思考と感情と感覚が癒され、だいじな贈りものを腕いっぱい贈られた、
貴重な時間でした(素

映画はたまにしか観ないけれど、
特にわざわざ足を運んで観たものに、幸運にもまったくハズレがない。
単館上映作品が多いせいだろうか。
原作本も買いました。
チェコ映画『この素晴らしき人生』と同じく、読むまでには
とうぶん時間がかかりそう。
まずは映画の印象に、心地よく浸っていたい。

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