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記憶の中の詩

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2005-02-11 [ Fri ]
http://www.gaga.ne.jp/ibrahim/

もう落ちぶれきってしまったと悲しんでいたオマー・シャリフの復帰作。
おまけにパリの下町を舞台に、トルコ人の老人とユダヤ人の少年の物語
と聞いては、じっとしていられない。
「異郷(性)」もしくは「異邦人(性)」は、さまざまな意味で
私のテーマ、またキー・ワードでもある。

ブルーノ・ガンツ主演(というよりテオ・アンゲロプロス監督作品)
『永遠と一日』のイメージを漠然と抱いていったのだが、
少年モモと娼婦たちのかけあいや、イブラヒムおじさんの飄々とした居ずまいに
失笑や微笑を誘われ、さすがにぽろぽろ流さずにいられない涙(涙腺弱い
です・照)を温かくぬぐわれる。

人と人との結びつきは、たしかに宗教や国籍を超えるもの。
(しつこいですが、「ユダヤ人」は「ユダヤ教徒」のことで、
人種概念ではありません)
(イブラヒムおじさんがモモに「自分はスーフィー教徒(イスラム神秘主義)だから
『アラブ人』=イスラム教徒ではない」というくだりもある)
(ちなみにおじさんのモデルは原作者の祖父で、トルコ人でなかったというが、
宝石職人という職業その他から、ユダヤ人ではなかったかと推測)
けれど愛する者ともっと強く結びつきたいと願ったときに
宗教や国籍や人種がそれを阻むことは、ままある。
移民のイブラヒムおじさんがフランス国籍でないという理由で
役所の担当者に片はじから養子縁組手続を断られる場面は、
さすがにシリアスだった。
"non", "non ...", "non!", "..." の連続で諦めかけたとき、最後に "oui" が
聞けた場面では、「てやんでぇ、これがヨーロッパよぉ!」と
快哉を叫びたくなった(照
末端の担当者に決定権がなく、すぐにオロオロと電話をかけたり
データ検索をしたりするどこぞのアジアの国(2/10日記参照)と、
思わず比較してしまう(笑

東京での上映はとりあえず終わったもののネタばれは自粛しますが、
「モモ」という愛称が「モィシース(モーセ)」だけでなく「モハメッド」の
意味でもあること、
(「イブラヒム」だって「アブラハム」、ユダヤ人の「父の名」だ)
やがて「父」イブラヒムの店を継いだモモが昔の自分とそっくりの少年を見かけ、
「アラブ人じゃないぞ」「またな、モモ」(「父子」の出逢いと同じ言葉)と声をかける
ラスト・シーン、
フランスからギリシァを経てトルコまでの旅を、空の移ろいだけで描いた
カメラ・ワーク、
ローマ・カトリック、ギリシァ正教、イスラム、スーフィーといった宗教を
嗅覚で表現しようとする発想---などなどなど、
すべての思考と感情と感覚が癒され、だいじな贈りものを腕いっぱい贈られた、
貴重な時間でした(素

映画はたまにしか観ないけれど、
特にわざわざ足を運んで観たものに、幸運にもまったくハズレがない。
単館上映作品が多いせいだろうか。
原作本も買いました。
チェコ映画『この素晴らしき人生』と同じく、読むまでには
とうぶん時間がかかりそう。
まずは映画の印象に、心地よく浸っていたい。
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