journal in japan

記憶の中の詩

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2005-05-31 [ Tue ]

僕はこのおばあさんにどうやったら自分が作家だとわかってもらえるか、
さっぱりわかりませんでした。
「大学は通ったんだけど」なんて言っても、嘘になります。
ドイツ人がもの書き〔作家〕だと名乗るとき恥ずかしく思うのは、奇妙な話です。
素朴な人たちにはぜったい言いたくありません。作家 schriftsteller と聞くと、
聖書に出てくる律法学者 schriftgelehrte やパリサイ人 pharisaeer を連想されてしまいますから。
「作家」という肩書は、フランスの「文学者 homme de lettres」ほど世間で認められていないのです。
文学者はもの書きとして同業組合もありますし、仕事上の決まりというものもあります。
それどころか「哲学はどこで?」なんて訊かれたりもする---フランス人はまぁ、
そういう人たちなのです。
でもドイツではそんなわけにはいかない。
もの書きだと言えなくて舌が重くなるのは市門のところで尋ねられたからではなくて、
天から授かった賜物で商売をしているという、自分の中の疚しさのためでした。(…)
「誰でも脳だとか心臓、胃や脾臓、肝臓なんかがあって、もちろん体の中にポエジーも持っている。
でもこういう内臓のどれか1つだけに栄養を注ぎこんで大きくして、
他の内臓よりよけいに働かせたり、それどころか商売道具にしようと企むなら、
世間様に恥ずかしいと思わなくちゃいけない。
ポエジーをパンだねにしている人間は重心がおかしくなって、
ガチョウみたいに大きな肝臓をしているんだ。
確かにおいしいけれど、それはそのガチョウが病気だってことだ」とでも言われかねません。(…)
僕がこんなふうにあれこれくよくよ考えていると、おばあさんは不審がって言いました。
「なんの生業 handwerk をしてなさると訊いたんだよ。言いたくないのかい?
まともな仕事をしてなさらないのなら、何か始めてみなされ。芸は身を助くってもんさね。
まさか死刑執行人やスパイで、あたしを捕まえに来たんじゃないだろうね。
お願いだからなんか言っておくれ。(…)それとも神様の時間を盗むこそ泥で、
ぐうたらのあまりひっくり返らないように、塀によっかかっているとでもいうのかい?」
そのとき僕は、おばあさんにわかってもらえそうな言い方を思いつきました。
「おばちゃん・・・俺ね、書記 schreiber なんだ」-「あらまあ」おばあさんは言いました。
「そんならそうと、早く言えばよかったんだよ。ペンで身を立ててなさるってわけだ。
それに賢いおつむとはしこい指と、あったかいハートを持ってなさる。(…)
そうかい、書記さんだってねえ。そんならあたしのために、
大公様に歎願状を書いておくれでないかね。
必ず聞き届けられて、そこいらにほったらかしにされないような歎願状をね」
(C.M.W.B.)

--
しかし自分では読み書きができないこの老婆は、
「歎願状」と呪文のように唱えただけで彼がすべてを察して一筆したためてくれると思いこんだり、
書記のくせに紙を持ち歩いてないのは言語道断だと怒ったり、
「言葉で生きる人間」に対するあまりに素朴な妄信をみせる。
そして詩人であるこの若者は、苦しまぎれについた小さな嘘のために
より大きな物語に巻きこまれていく。
・・・ハイ、高校の教科書に載っているようなお話だけれど、
この作品の朗読 CD も持っております。
「存在じたいがポエジーそのもの」と J.v.E. をして言わしめた C.M.W.B. の作品は
まさしく「声に出して読みたい」言葉たち・・・
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2005-05-25 [ Wed ]
(ディート・ツィンザッツェ Dito Tsintsadze 監督;2003年)

about the movie:
http://www.hollywoodreporter.com/thr/icopyright_display.jsp?vnu_content_id=1999884
http://www.german-cinema.de/archive/film_view.php?film_id=953
http://www.acmi.net.au/BFFB55BC96784D9483537DB9F5467447.jsp
http://www.filmcritic.com/misc/emporium.nsf/60e74e041ca9cd6b8625626f0062219f/451da847c02e938488256fce0018d983?OpenDocument
http://www.natfilm.dk/2003/f.lasso?n=3023
about the director:
(interview) http://www.planet-interview.de/interviews/pi.php?interview=tsintsadze-dito


前述↓のとおり、ドイツ映画@日仏会館
玄関横のモニタに、EU の資料映像が流れている。
ミッテランはもちろん、シュレーダーやブレァの顔も。
字幕はフランス語、ドイツ語、英語で。
(演説などの主要部分は、字幕なしである)
スナック・バーのカウンタにいるのは
右耳にピアスでもしていそうな(!!)青年、
つい "espresso doppio!" と口走ったのを
"espresso double エスプレッソ・ドゥプレ" と訂正してくれるが、
おつりを数える口もとは「いち、にぃ、さん、し、・・・」と
呟いている。

舞台は現代のドイツ、どことも知れない中規模くらいの都市。
(同行の知人の耳がベルリーン方言をキャッチ
-ドイツ語+日本語字幕-、
北部なのは確かだが、ベルリーンほどキッチュな町ではない)
映像の輪郭も街や住まいの内側も、やはりこれは
「西側」の映画、「西側」の世界だ。

兵役を拒否し、代役で食事のデリヴァリ・サーヴィスをする孤独な青年、
心や身体をどこか病んだ人々。
謎のうら若い女性、
母は再婚して、肌の色の違う弟が生まれた。
北朝鮮に傾倒する、中近東系の隣人。
自己啓発セミナーの主宰者。
みんな「普通」ではないのだけれど、
トウキョウにも「フツー」にいそうな登場人物たち。

小さな偶然が重なりあい、ずれあって、
ルーカスは少しずつ、「普通」でない状況に巻きこまれていく。

はい。
危惧どおり、期待どおり
筋を見失うことはまったくなく、
オチもきっちりつきました。

***ドイツ映画祭2005「映像の新しい地平 特別編」***
2005.06.04.(Sat.)-12.(Sun.)
公式サイト:http://www.asahi.com/event/de05
2005-05-24 [ Tue ]

(アルギマンタス・プイパ Algimantas Puipa 監督;1997年)

about the movie:
http://www.facets.org/asticat?function=web&catname=facets&web=cinematheque&path=/archive/mar2003/lithuan
about the director:
http://teatras.mch.mii.lt/Kinas/Kinas2.en.htm

(05/22/05 Tokio)
リトアニア映画。
アルヴォ・ペルトの CD を持って出かける。
ドイツ系リトアニア人を父にもつラリョーサと
奇しくも趣味が一致した、エストニアの現代作曲家。

上映会場はスウェーデン大使館。
拍子抜けするほど厳重な警備もなく、
内装はまさしく「北欧モダン」。
ロビーに小学生の声が響いている。
子供も大人も、私の知らない言葉を発しているのは
スウェーデン人なのか、リトアニア人なのか。
建物や人々からたちのぼる匂いも「日本」ではない。
今日の映画はリトアニア語+英語字幕。
感覚をほんのひと時宙吊りにしたくて来た
(ずっと宙吊りは辛すぎる・・・)のだけれど、
さっそく始まってくださった。

最初、台詞がロシア語かと思う。
主人公の父親が KGB に連行される場面、など。
けれど言葉の響きはずっと変わらず、
やはりリトアニア語はスラヴ系なのだと思う。
ほんの片言だけ知っているロシア語やチェコ語に似た単語が
ときどき人々の口から発せられる。

画家タダスが、幼い頃からのあれこれを回想する物語。
預けられた母の郷里の、野中の一本道。
釣りをしようと浮かべた小舟。
恐ろしい夢、不思議な夢。
母と再び暮らしはじめた、都会での日々。

回想の中の人々が、ふいと現在のアトリエに現れる。
釣り仲間の少年。
ピアノを弾く少女。
父を見送ったティーン・エイジの自分に
ビールをさし出したりもする。

ストーリーも登場人物も、ますます錯綜していく。

気がついたらラスト・シーンだ。
これは現〔うつつ〕、それとも夢の中なのだろうか。

出てくると、雨上がりの夜気が椎の匂いを
爽やかに和らげてくれていた。
帰りの BGM もペルト。
数年前に観たチェコ映画もそうだったけれど、
ヨーロッパ映画、とりわけ中東欧
(いわゆる「東欧」だけでなく、
いわゆる「西欧」よりも東側に位置する地域
---アラブ世界の影響を受けた、
現代のギリシァ映画も、私がわずかに知るかぎりそうだ)の
作品は、映像もストーリーも、あらゆるものがファジーにぼやける。
「あなたと話してるとフランス映画の世界みたいだわ」と言った
知人のイメージどころではなく。
(これも私が知るかぎり、いわゆる「西欧」では
「錯綜させるぞ」「暈すぞ」という意志やマーキングが、
必ずどこかに見える)
それが私にとっては、救い。
絶対的な悪も絶対的な善もなく、
骨の髄まで悪人も度し難いほど善人もおらず、
ただそんな人生の移ろいを
涙を流しながらでも、泣き笑いでも
微笑みながら過ごしていこうじゃないか、と無言で囁いてくる。

火曜の最終日は、日仏会館でドイツ映画。
一緒に行く知人は映画が好きで
パフォーマンス・アート全般の通訳経験もある人だが、
個人的な好みはあまり知らない。
こういう設定で、けれどこの日曜ほどの「宙吊り」体験は
きっとないだろうな・・・・・・

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