journal in japan

記憶の中の詩

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2005-12-28 [ Wed ]
投稿日:2000/09/14(Thu) 17:27:38 No.2

「つまんない骨董でも、つまんないこと教えてくれる」
その言葉はまったく同様に人間に対しても発せられ、
「あたし、盗みの名人なのよ。いい人間に会えたらいいとこ
盗んじゃうし、どんなつまんない人でも必ずいいところはある」
(…)
骨董の目利きになるのは不可能として、せめて白洲さんの人間を
見抜く能力と包容力の百分の一でもあやかることができたなら、
と願いつつ、私は訊ねた。
「見えるようになるまでは、少し時間がかかりますね」
すると白洲さんは間髪入れず、
「少しどこじゃない。一生かかってんの、あたし」
まるで平凡な器のどこかに何か取り柄はないかしらと探るような目で、
大きな瞳をギョロリと動かしながら、私を見つめ、にっこり笑われた。

阿川佐和子:白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫・解説より
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2005-12-28 [ Wed ]

「あなた絵が上手よね」
「あなたの絵、好き」
昔から親しい友人たちに言われる。
嬉しくないはずがない。
---私がそんなに絵を描く、ならば。

自分ではほとんど描いている自覚がない。
描けないと、苦手だと思っているから。
高1だったか、芸術科目が選択になったときは
迷わず音楽を選んだ。
歌うことは好きだったし、苦手だと思ったこともない。
イーゼルとキャンバスを校内のあちこちに広げている
級友たちの姿は楽しそうだったけれど、現実には
秋から冬にかけて、わざわざ学校の周りを流してくる
焼芋売りのおじさんを呼びとめられないのが
残念だっただけだ。
それよりも、歌っていたかった。

「でも、私あなたの絵を見たことがあるわよ」
友人たちは口を揃えて力説する。
「覚えがないのは、気張って描いたりしないからでしょ。
ちょっとした時に、ありあわせの紙になにげなく描くものが
いつも好きだったわ」
「自動筆記 autographie」とは、まぁなんとご大層な(笑

暮れの都心で、小1時間ほど時間が空いてしまった。
ちょうどコーヒー・ショップにいて
読みかけのペーパー・バックもあったのだけれど、
BGM が耳ざわりで、とにかくその場を逃げ出したかった。
次の予定の場所は、駅を背に幹線道路を渡ったところにあるが、
数十メートルほど戻って画材屋に入った。
製図道具や文房具はなるほど大好きで
学生時代通った店だ。

いつも持ち歩いている手製(笑)メモ・パッドと同じ
A4の小さなスケッチ・ブックを買い、
絵具のフロアへ移動。
ほんとうは水彩セットを探すつもりだったのに、
つい癖で色鉛筆に眼がいってしまう。
外国製の色鉛筆。
セットでもバラでも、そういえばずいぶん買った。
母の誕生日に、水彩色鉛筆を選んだこともある。
水彩色鉛筆なら私も持っている・・・
しばらく懐かしい香りと、微妙な色あいを楽しんで
「パステル色鉛筆」の12本セットを手に取った。
そうだ、こないだ誕生日を迎えた自分に
これをプレゼントしよう。

あと30分あまり。
ここも師走のざわめきが満ちているけれど
とにかく明るい中央集配局のソファに座り、
いつも持っている0.7mmの製図用シャープ・ペンシルで
さっそくデッサンを始めた。
ありきたりながら、まずは自分の手から(微笑
昔絵が上手だったのかどうかはともかく、
今は線1本さえ、見えているものの形どおりに引けない。
たどたどしく線を引いていたら、携帯電話が鳴った。
2005-12-27 [ Tue ]
久しぶりの友人と電話でおしゃべりしていたら、
周介(父方の祖父)と母が入ってきた。
おろおろする私にかまわず、祖父は私の眼の前に胡坐をかいて座る。
電話を切ると、周介は私を抱き寄せてきた。

いきなり現れて、母をさんざ振り回したらしい。
突然電話してきて「誰じゃ?〔誰が電話に出たのか〕--儂じゃよ、儂」と
のたもうた、俺様気質は相変わらずだ。
それでも子供の頃苦手だったように煙草臭くなかったので、
私は初めて自分からもハグを返して、骨ばった背中を優しく叩いた。

周介がとうにこの世の人でないことを思い出したのは、
眼が覚めてしばらくしてからだった。
そういえば周介は60代くらいで、
伊達男らしく白いスーツに麦藁の中折れをかぶっていた。
私の記憶にある祖父は、ほとんど自宅でくつろいだ着流し姿だったのに。

実はこれは2度寝で(笑)見た夢で、
明け方の夢には両親が出てきたのを、
さらに意識がはっきりするにつれて思い出した。
そういえば夢の中の祖父は、父と同じ化粧品の匂いをさせていたかも
知れない。
(父が昔愛用していた化粧品の匂いも、今は思い出せない。
嗅覚は聴覚と同じくらい、きわめて受動的な感覚だから・・・)

不思議な夢だけれど、ぜんぜん不思議とも思えなかった。
もうすぐ祖父の祥月命日なのだ。
周介が初めて、母を引きずり出してまで会いにきてくれたのは
きっと悪くない年の瀬の夢なのだろうな。
2005-12-24 [ Sat ]
(war is over)

so this is Christmas
and what have you done
another year over
and a new one just begun
and so this is Christmas
i hope you have fun
the near and the dear one
the old and the young

a very Merry Christmas
and a Happy New Year
let's hope it's a good one
without any fear

and so this is Christmas
for weak and for strong
for rich and the poor ones
the world is so wrong
and so Happy Christmas
for black and for white
for yellow and red ones
let's stop all the fight

a very Merry Christmas
and a Happy New Year
let's hope it's a good one
without any fear

and so this is Christmas
and what have we done
another year over
a new one just begun
and so Happy Christmas
we hope you have fun
the near and the dear one
the old and the young

a very Merry Christmas
and a Happy New Year
let's hope it's a good one
without any fear
war is over, if you want it
war is over now

(Y.O. & J.L.)

さぁ、クリスマスだね
君は何をしてきたかい?
ひとつの年が過ぎて
新しい年が始まる
さぁ、クリスマスだね
楽しもうよ
近くにいる人も、大切な人も
老いた人も、若い人も

とびきりのメリー・クリスマス、
そしてハッピー・ニュー・イヤー
新しい年がいい年であるように
憂いごとなどないように

さぁ、クリスマスだよ
弱い人にも、強い人にも
豊かな人にも、貧しい人にも
世の中が間違っていたとしても
今宵はハッピー・クリスマス
黒い人も、白い人も
黄色い人も、赤い人も
争いはとにかくやめよう

とびきりのメリー・クリスマス、
そしてハッピー・ニュー・イヤー
新しい年がいい年であるように
憂いごとなどないように

さぁ、クリスマスだ
僕らは何をしてきただろう?
ひとつの年が過ぎて
新しい年が始まる
さぁ、クリスマスだ
楽しもうよ
近くにいる人も、大切な人も
老いた人も、若い人も

とびきりのメリー・クリスマス、
そしてハッピー・ニュー・イヤー
新しい年がいい年であるように
憂いごとなどないように
戦争は終わる、君たちが望みさえすれば
戦争は今終わるんだ

**
ちょうど Christo の、Central Park のインスタレーション
"the Gates" の話をしていたので、
そのイメージと曲が重なる。
J.L. が逝って四半世紀めのクリスマスに。

救世軍の社会鍋にもささやかな寄付をしてきて、
年の瀬のきまりごとがわずかずつ捗っていく。
2005-12-18 [ Sun ]
こないだ快速電車の乗換にあるホームに立ったら、
向かいのホームの端にふわりと何かが舞う光景が浮かんだ。
フラッシュ・バックではない。
ある年の、秋だったと思う。
私が見たのは、シートで覆われた箇所から遠く離れたところに転がった
白いスニーカーの片一方。
私の眼の前で泣き喚いていた女性が
自分が目撃してしまった決定的瞬間を言葉にして吐き出したのが
記憶の底に沈んでいたものらしい。

メトロを降り、目的の場所のすぐ下まで
寒風を避けて歩こうと地下通路を足早に急いでいたら、
デパートのショー・ウィンドゥの前に人だかり。
何やら人が動き、叫び声がしているのを
毛布をカーテンにして囲っている数人。
メトロの制服も2人ほど見えるが、じっと立って様子を見守っている。
喧嘩だの酔っぱらいだの、「江戸の華」的場面ではないらしい。
気になってちらちら見ながら通り過ぎようとすると、
人が動いているのは上体を斜めにし、腕を突っ張って
上下動しているもの。
叫んでいるのは女性で、細く鋭い声で「おじさんっ!」「がんばってっ!!」
もう少し手前から、「住所とかなんとか、わかんないのかね?」という
別の声。

歩みを緩めて寄っていったらただの物見高い野次馬だと思い、
祈る気持ちで足はまっすぐA13番出口へ向かう。
メトロの車内は汗ばむほど暑く、風の来ない地下通路も
暖かい空気が満ちていたが、
今日の東京の木枯らしは、ひときわ冷たく人々の身を切ったのだ。

小1時間ほどして同じA13番の階段を下りたが、もう人だかりはなく、
さっき人が群れていたのがどこだったか、まったく思い出せない。
心臓マッサージが功を奏して「おじさん」がぶじに家路に着いたか、
病院のベッドの上で休んでいることを願いつつ
発車ベルに急きたてられて自動改札を走り抜けた。

人は何のために都会へ来るのだったか・・・と、
R.M.R. 風に心の中で独りごちてみた。
2005-12-18 [ Sun ]
(東京国立近代美術館・2005.10.25 - 12.18)

Bernd & Hilla Becher 以後、
夫妻を含め現在活躍中の写真家10組11人の作品を集めたもの。
とはいえ知らない名前ばかりだが、開館したばかりの
ミュンヒェンは Pinakothek der Moderne 収蔵作品が多いのに
好奇心をそそられていた。

最年少の1972年生まれをはじめ、ほぼ半数は旧東独出身だ。
写真や新技術にさほどの思い入れがない私でも、
若手のデジタル作品や、その加工やコラージュ技術には
一定の慣れというか免疫があって、ナルホドと思いながら見てしまう。
Andy Warhol にこんなタッチがあったわよね、
こんな色調の作品、有名よね・・・風のとか(笑

それより気になったのは、Becher 夫妻(30年代前半生まれ)や
Michael Schmidt(45年生)。
「タイポロジー」と称して採炭場や給水塔をひたすら撮りつづけたり、
「統・一」というシリーズもので、
報道写真の切抜と自ら撮影したポートレートやスナップを並べたりする。

「絵を描けないから写真を撮るのだ」という言葉に触れたことがある。
たしかに機械を介在させるぶん、対象を「写す」テクニックじたいは
よりニュートラルなはずなのだけれど、
例えばシリーズ作品の1枚2枚をとり出して眺めても、
素人が漫然とシャッタを切った写真とはまったく別物ができてくるのは
(もちろん技術の問題だけでなく)なぜだろうと、考えた。

それは Becher や Schmidt よりずっと若い H=Ch. Schink(61年、DDR 生まれ)が
旧東の田園風景を切り裂いて貫く「統一交通プロジェクト」の巨大人工建築を
あくまで淡々と、端正にとらえた写真たちにも言える。

たぶんそれが凡庸と才能、アマチュアとプロフェッショナルを分ける
さまざまな要素の1つであるのだろうけれど。

併設は、20世紀初頭の写真家 August Sander のポートレート展。
1階から持ってあがってきた疑問の答がじわりじわりと蠢く感触はあったけれど、
ソファに腰をおろしてメモをとっていたら
閉館アナウンスが入って追い出されてしまった。

外はもう暗くてしんしんと冷たい。
ただ内濠通りの夕景はいつ見ても美しく、
古くさいセミ・オート・カメラで2-3枚撮る。
(フィルムぜんぜん減らない~・汗)
2005-12-16 [ Fri ]
靄に包まれて生まれたそれは 淡い橙色をしていた
わずかに見上げた高さにぽってりと浮かんで
こわばりかけた魂を優しく仄かに照らす
そう この色はまさしく
待降節に1本1本灯されていく
蝋燭の炎の色

おぐらきこの日々夜々に 光をたまえや

人工照明の洪水を 眼も耳も閉じて通り抜けてきたら
無窮の冷気に磨きぬかれ 漆黒の海を漂い上ってきた真珠母は
もうずいぶんな高みに 皓々と冴えわたっていた
あとほんの数刻のちに 冬のもちづきとなって天蓋を飾るために

あとほんの数日のちに 闇が光に勝つ日が来る
悲しんではいけない
その日が 待ち望む新しい春のはじまり

心の天空にひとつ 真珠母の灯をともそう

-- auch an meinen verspaeteten geburtstag 7. Dezember gewidmet --
2005-12-06 [ Tue ]
東京でも初雪が舞う。
けれどそれもつかの間
南関東の冬らしい澄みきった空が広がり、
たまさか浮かんだ雲を
せっかちな午後の太陽は足もとから照らした。

夕焼がみごとなのに見蕩れるが
そういえばこの窓は南向きなのだ。

空気はますますきぃんと冴え、
わざと手袋をしない手の冷たさが
なぜか嬉しかった。
2005-12-02 [ Fri ]
演奏中、私は何度もふり向いて、小ホールの扉に眼をやった。
いつもと同じ。ぴっちり閉まっている。
なのにいったい、これほど響かない声は何だろう。
豊かな体躯に甘い顔だちの、新進バス歌手。
声楽にうるさい友人の勧めで来たのに、これが実力のはずはない。
メィン・プログラムが何だったのか、長い年月を経た今
まったく思い出せない。
たぶんスタンダードだったのだろう。
それだけに、若手の不調ばかりが目だったのに違いない。
気のない拍手を送る。
隣に座っていた日本人男性が、これはどういう歌手なのかと尋ねてくる。
こいつはこんなものなのかと。
さぁ、と言葉を濁す。

お約束どおり客席最前列の小さな咳ばらいと
ステージ上のカタリという音がして、アンコールが始まる。
おお!
彼は少しフリューゲルに凭れて歌っている。
肩からも声からも、先ほどのこわばりはすっかり消え去っている。
甘く朗々と、よく響く声。
高音部を長く延ばしたときの咽喉の使い方に
(おそらく子供時代から私淑してきたのだろう)
「20世紀最高のバリトン」からうけ継いだものを、はっきりと感じる。
友人も私も、同じバリトンを聴いて育ったからすぐにわかる。

彼にとっては、この南の州都でのデビューの夕べ。
中東部で生まれ育った彼にとって、つい2-3ヶ月前までは外国だった
この街の、それでなくてさえ保守的で耳の肥えた聴衆を前にするのは
大きなプレッシャだったろう。
日本人ソプラノ歌手とヨーロッパ人ピアニストの夫婦をはじめ、
高名な演奏家もホールやロビーに何人も見えた。
おまけにここに劣らぬ古の大王国、由緒ある美しい都の出身とはいえ
20世紀の終わりのこの時、彼は才能のある「二級市民」にすぎない。

しかし・・・
不出来とはいえメィンを終えた安堵感で、アンコールはみごとだった。
その最初の曲が "da unten im tale"。
 http://www.karadar.com/Lieder/brahms_7.html
歌詞はじんわりと心に染みてきたが、ただ
どうやら南西部の方言で書かれているらしい歌詞を
中東部の彼はきちんと再現することができない。

週が明けて講義へ行ったら、
ホールの前で鉢合わせした教授が
休憩時間に手招きをしてきた。
しばし音楽談義。
ほんとうはピアニストになりたかった御仁。
声楽はよくわからないのだと言うが、
「・・・でもこれからが楽しみな若手ですね」と
2人で玄人ぶって頷きあった。

トウキョウで、この曲が収録された CD を探し出す。
「20世紀最高のバリトン」と名ソプラノ・ドラマティコとのコラボレート盤。
2人のかけあいでいよいよ歌は精彩を帯び、
パステル画かセピア色映画のような場面を描きだしてくれる。
ただ音楽的にも磨きぬかれた標準語を駆使するバリトンはもちろん、
ソプラノも明らかに南西部の出身ではない。
聴こえてきたのは音楽的に完成された、標準語による名演奏。
ソロで生き生きと初々しく、甘く切なく歌いあげた
あのバスのリーダー・アーベントが懐かしくなる。

1年ほど前、かつての新進バス歌手の
来日公演のチラシを見かける。
年月が流れる間に声楽をほとんど聴かなくなったので
彼のその後の動向は知らないが、相変わらず愛嬌のある美貌を
自信と風格がいよいよ美しくおおっている。
少なくともメィン・プログラムにブラームスの民謡集がないことだけ
確かめて、チラシを1枚バッグにおさめて帰った。

[付記]
気になったので、今検索してみた。
彼は曲目や配役によって、バスもバリトンも歌うようだ。
いよいよ、高音部がフィッシャー=ディースカウ(笑)に
そっくりでも当然と思える。
2005-12-01 [ Thu ]
da unten im tale
laeuft's wasser so trueb,
und i kann dir's net sagen,
i hab' di so lieb.

sprichst allweil von liebe,
sprichst allewil von treu',
und a bissele falschheit
is auch wohl dabei.

und wenn i dir's zehnmal sag,
dass i di lieb und mag,
und du willst nit verstehn,
muss i halt weitergehn.

fuer die zeit, wo du gliebt mi hast,
da dank i dir schoen,
und i wuensch, dass dir's anderswo
besser mag gehn.

(Swabian folksong , from deutsche volkslieder mit ihren original-weisen (Berlin, 1838-40)
music by Johannes Brahms, op. 97 no. 6 (1885), published 1886)

http://www.karadar.com/Lieder/brahms_7.html

wir wissen doch, unsre zeit geht rechtzeitig vorbei.
umsosehr danke ich dir fuer die teilnahme und den takt von dir,
was mich so lange jahre immer begleitet hat
und hoffentlich weiter begleiten moechte.
und weisst du, deine stimme und worte beruehren und ruehren mich immer noch ...

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2005-12

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