journal in japan

記憶の中の詩

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2006-01-31 [ Tue ]
図書館が好きだ。
本屋も古本屋も好きだけれど、
図書館だの文書館だので
時間の流れを吸いこんだ紙の匂いを嗅いでいると
こういう空間で生きていたかったはずなのだと
よく思う。

このあいだは近所の図書館へ行った。
公民館の一部を利用した、
文教都市とは思えない schaebig な「図書室」だ。
読むべき本は、部屋や大学図書館にある。
地下の喫茶室からコーヒーの香りがのぼってき、
老婦人が入口近くで世間話をしている。
編み物をしながら新聞を何種類か読む。

何もかもが旧式でのんびりした雰囲気に、
かえって発想はとっぴなところへ飛ぶ。
ユーリと運命の再会を果たしたとき、
ラーラは田舎町の図書館にいて、
蔵書カードをタイプライタで打っていたのだ。

腋の下で手を温めながら
暖房の乏しい部屋で受験勉強をする少女。
アイロンを交互に焼きながら
野戦病院でリネンのしたくをする看護婦。
タイプライタから顔を上げ、
カウンタの向こうにユーリの姿を認めて驚く司書。

そんなふうにまったく飾らないとき、
ラーラはいちばん毅然としてエロティックだ。

もちろん私はラーラではなく、
「ユーリ」との記憶はすでに遠く薄らいでいる。

ただ、時折映画のそのシーンに還っていきたくなるのは
文学少女の昔からの、私の稚い夢想癖だ。
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2006-01-24 [ Tue ]


『ベルリン、僕らの革命』(原題 "The Educators")を観る。
何も考えず、ただ楽しみたかったのだが、
途中からどうしても「水」のモティーフが気になりはじめる。

「水」は乏しすぎる20世紀ロシア文学の知識によれば「革命」、
それも生を解放する、真の意味での革命の象徴。
ハリウッド風メロドラマになってしまった映画版『ドクトル・ジヴァゴ』のラスト、
ジヴァゴとラーラの娘がダム建設労働者となり、
「生あるもの〔ジヴァゴ〕」の奔流がコンクリートに固められたダムに
姿を変えた光景は象徴的だ。

反グローバリゼーション運動に参加するユールは
往年の青年革命家、「68年世代」の実業家ハルデンベルクに向かって
「今はヨットに乗る暇もないのね」とシニカルに言い放つ。
そう・・・ハルデンベルクの豪邸は
湖に向かって開かれているのに。
そんな彼の家に「犯行/反抗」に押し入った彼女は「仕上げに」と、
居間のソファを地下プールに放りこむ。

ヤンとユールを近づけ、結びつけていくのも「水」だ。
ペーターの親友と恋人である2人はハルデンベルク家のプールで初めて唇を合わせ、
アルプスの小川で水遊びをしながら最後の一線を越える。
その過程を見守っているのが、ユールのおじの山荘の眼下に見える
アルプスの湖である。

自宅に戻ったハルデンベルクは、いつの間にか「救出」されたソファに身を投げて
今後の対応に考えをめぐらす。
ヤンとペーター、ユールはヤンの発案どおり
地中海岸の目的地を目ざす。

しかし
40年の間に体制側のトップに上りつめたハルデンベルクを
ただの裏切り者のオポチュニストと決めつけるのは、単純すぎるだろう。
事業にかまけてヨット遊びをしなくなった彼も、別の見方をすれば
邸の地下に---心の底にプールという形ながら、
ずっと水を湛えつづけているのだ。
囚われの身にあっても洗濯ものを手洗いしながら、
湖を見下ろしながら、彼はヤンやペーターに
自分たちの「革命」が挫折してからの来し方や
今後第一線を退いてからの行く末を語る。
それは単に、息子娘より齢の離れた若者に対する
懐柔策だけではないはずだ。
ユールに手書きの示談書を渡して去っていくハルデンベルクの遠景には
邸の後ろに湖がのぞいている。
だからか、再びスーツに身を包んで実業家に戻ったはずの彼の顔には
それまでになかったほどの様々にいり組んだ表情が浮かんでいる。
もちろんいちばん上の表皮は、老獪な「日和った俗物」の顔には違いないのだけれど。

8年ぶりの大雪の翌日、
東京にはふたたび木枯らしが吹きわたった。
熱い湯に何度も身を潜らせ、洗い髪をタオルに包んで
この文章を書いた。
2006-01-23 [ Mon ]

2004年ドイツ
監督、脚本、プロデューサ:H・ヴァインガルトナー、主演:D・ブリュール
2004年カンヌ映画祭コンペティション部門出品

知人が昨夏に観て「面白かったわよー」と言っていた作品。
私は何となく惹かれながら「革命」という陳腐な邦題に引いたのと、
同じ『グッバイ・レーニン!』主演 Daniel くん(笑)の主演作なら
別のを観たいと思っていたのでそれきりになっていた。

・・・面白かったです(笑
「何も考えずにボーッと流せるロード・ムーヴィーが
今めちゃくちゃに観たい!!!」とこないだ叫んでしまったので(笑
分析癖は極力排してただ楽しむ。
とはいえ完全に排せなかったのが悔やまれるところで(苦笑
『俺たちに明日はない』を彷彿させる場面があったり、
「ナンダこれは浅間山荘か!?」とツッコミたくなるくだりがあったり etc. etc.

ヤンとペーターは豪邸に忍びこんでは家具の配置をめちゃくちゃにし、
「贅沢は終わりだ」などと警告メッセージを残して去る
「愉快犯」的行為を繰りかえしていたのだが、
ペーターの恋人ユールが交通事故の賠償責任を負わされている
会社重役ハルデンベルクの邸に腹いせに押し入ったことから
事情が変わってきて、ハルデンベルクを誘拐することになってしまう。
アルプスの山荘にこもって奇妙な共同生活、
現代社会批判の議論をするうち、実はハルデンベルク自身が若い頃は
"angry young men" の1人だったことがわかり・・・
・・・(以下ネタばれ自粛)

筋だてじたいは、それほどの surprise はない。
最後はどんでん返しだとか(劇場公開のときのキャッチ・フレーズだったらしい)
知人の「最後が・・・mmm」という思わせぶりな笑いも
「納得いかない」というネット上の多数のコメントも・・・
ぃゃ私最後まで、surprise はまったく感じなかったんですけど <オトナッテイヤッ!(爆
(上記知人女性も、私よりずっと年上のはずなんだけどな・・・笑)

ユールはグローバリゼーション反対デモに参加しているが、
1960年代後半の学生運動には懐疑的。
ほとんどの連中は「日和った」じゃないかなどと言いあっているところへ、
その最たる存在としてハルデンベルクが彼らに深く関わってくる。
しかも若い頃ヤンチャをしていただけにただの俗物おやじより始末が悪く、
手足の自由を奪われても、眼と耳だけは狡猾に
3人の様子をじっと窺っているのだ。

けれども、いったんは事態の急展開に混乱していたかのようなヤンたちも
ハルデンベルク1人におめおめ腕を捻りあげられるほど、初心ではない。
"don't trust over thirty" と嘯いていた往年の若者はいかにも
"don't trust under thirty" と言いたげだけれど、
そういう世代間のコンフリクトも、ちゃんと代々うけ継がれるのですよ、オジサマ(笑

そう思うとラスト・シーンも、エンド・クレジットの背景も、
私にとっては納得以上の「してやったり」。

そんな世代間の相互不信も、犯罪や三角関係も後味よく見せてくれるのは
3人の若者も、往年のヒッピー姿からすっかり変わり果てた(笑)実業家も
それぞれ自分の信じるものや愛するもののために一生懸命生きているから、
そしてそんな矛盾だらけの人間の生き方を温かく見つめる
監督ヴァインガルトナーの眼ざしのおかげだろう。
(これはブリュールの出世作『グッバイ・レーニン!』(W・ベッカー監督)にも通じる)
2006-01-17 [ Tue ]
暖かい午後
冬枯れの並木道を道なりに曲がったら、
いきなり幼い歓声にとり囲まれた。
噴水の周りを、小さい子供たちが
こけつ転〔まろ〕びつ跳ねまわっている。
スモックにベレー帽姿のまま、
顔を真っ赤に上気させて。
松ぼっくりの礫を投げあい
命中させたほうも、されたほうも
はしゃいで笑い声をあげる。
奥からもう少し大きなお兄さんお姉さんたちが
解放された半日をどうやって過ごそうか
晴れやかな顔で出てくる。
ちょっとだけ唇の端を上げて
その流れとは逆の方向へ歩いていった。
祈りつつ。

--- auch ich in arkadien!
2006-01-15 [ Sun ]
小正月なので、今夜は小豆粥。
お餅(丸餅のストックがまだ・・・)を入れるヴァージョンは
胃袋の都合により明日に(笑
白米と玄米を2:1くらいで合わせたものを
今日はお酢も塩も入れずに炊いたが <ただの手抜き
もらいもののゆで小豆素材缶(無糖・主にお赤飯用)を使ったら
茹で汁がかなりしょっぱかった(私比)ので、結果的に正解。

私の豆料理は、基本的に甘くない。
煮物やサラダや・・・に使うせいもあるけれど、
市販のお惣菜やお弁当に入っている煮豆は
甘すぎて食べられないことが多い。
お汁粉用に茹でる小豆も、かなり甘さ控えめ。

うだうだ言っているのは、素材缶がまだ残っているからだ(笑
いとこ煮は冬至に作ったばかりなので・・・
あとどうしようかな・・・
2006-01-11 [ Wed ]
御使と格闘するヤーコブ

ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。
ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいに
さわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた。
その人は言った、「世が明けるからわたしを去らせてください」。
ヤコブは答えた、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」。
その人は彼に言った、「あなたの名はなんと言いますか」。
彼は答えた。「ヤコブです」。
その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、
イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。
(創世記32:24-28)

Jacob in gevecht met de engel(御使と格闘するヤーコブ)
http://www.theunis.nl/Marc%20Chagall.htm
2006-01-10 [ Tue ]
1月6日は Ephiphanie。
直訳すると「公現日」、
幼な子イェスが初めてイェルサレムの神殿に
上った日(お宮参りですな)という説もあるが、
別名 "Dreikoenige"(三王;三王礼拝)ともいい、
東方の3人の賢者(博士)がベツレヘムの厩にイェスを訪ね、
黄金、乳香、没薬を捧げた日とされる(たとえばマタイ2:9-12)。

正式には、クリスマス・シーズンは12月24日からこの1月6日まで。
シェイクスピアの『十二夜』はこのクリスマス・シーズンの
できごとのお話だし、
子供の頃から大好きなのに覚えきれない(覚えても忘れる)
♪ on the first day of Christmas my true love sent to me ... という
クリスマス・ソング "twelve days of Christmas" も、
1日めから12日めまで、毎日プレゼントが増えていく歌。
 http://nbcc316.com/ChristmasMidis3.html
ヨーロッパのクリスマス・デコレーションはこの日まで街を彩り、
7日には家々の居間を飾ったクリスマス・ツリーの樅の木が
街路に出される。
(私が知るかぎり、ふだんはゴミは戸別収集だけれど、
樅の木はこのシーズン歩いたどの街でも、通りに転々と
さりげなく寄せて置かれていた.
収集の手間を省くためだろうが、皆の温かい時間を見守ってきた
樅の木を最後の最後まで独りぼっちにはしたくないという、
人々のちょっと感傷的な優しさにも思えた)

ちなみに待降節(アドヴェント;11月末または12月初めから;
クリスマスの4週間前)になるとどの町にも、
大都市では何ヶ所にもクリスマス市がたつ。
1月5日は聖ニコラウスの日、ニコラウスが悪魔ループレヒト
(男鹿のなまはげみたよなもの・笑)をお供に、子供のいる家々を訪ねる。
つまり実質、アドヴェント第1日曜から三王礼拝まで、
クリスマスは延々1ヶ月以上祝われる。

ただし新年の仕事始めは、1月2日。

以上クリスマスも松の内も明けましたが、
お仲間のブログの書きこみに質問レスがついたので、
こちらでお答えしましたん☆

(七草用のセット野菜が手に入らず、ひととおり買い揃える.
しかし当日は所用でくたくたに疲れ、野菜を切る気力もなくなり、
乗換え途中の高級スーパーでようやく見つけたセット野菜を買ってしまう.
というわけで、今台所は野菜だらけです.
1週間ぐらいしたら、野菜づくしから回復するおこわでも
炊きたくなるかも・笑)
2006-01-07 [ Sat ]
メトロの階段を上がると、風が強かった。
冷たく乾ききった風に押し戻されるまいと歩いていたら
郵便局の花壇で灌木の花が激しく揺れていた。
青みがかった濃い紅色にオールド・ローズの仲間かと思ったが
肉厚の丸みを帯びた葉が、つやつやと輝いている。
やはりこっくりと厚い花びらは
くしくも今日のルージュと同じ色。
筆にとって何げなく混ぜたのだが、
私も向かい風に立ちむかう凛とした艶やかさが欲しかったのかもしれない。
大使館前の小さな小さな池には氷が張っていた。

高みを疾駆していった風に雲をぬぐわれた
上弦の月を見上げながら、いつもの公園を抜けていく。
ふと足を止める。
camellia hiemalis。
さっきの花がここでは風に押しこくられることもなく
ただきらめく木もれ陽をうけて私をとり囲んでいる。
迷わずリュックを足もとに投げて
スナップを2枚、3枚
そして胸の奥に
りりしい紅い花を連れていくことにした。
2006-01-05 [ Thu ]
小学校の頃、小鳥を飼っていた。
最初のが桜文鳥、次にセキセイインコ。
どちらも手乗りだったが、羽を切ったことはなかった。

桜文鳥は『長くつ下のピッピ』にちなんで
「ピッピ」と名づけた。
「ピッピ」と呼ぶと、「ピッピッ」と答えた。
たぶん中学受験の頃だったと思う。
籠から出して、机代わりの古い座卓の上で遊ばせながら
勉強をしていた。
ちょんちょんと楽しそうに跳ねまわり、
鉛筆を握った私の手に止まるのが好きだった。

ある時、そろそろ暑くなってきたのか、
鳥籠をとりこんでから閉め忘れていたのか、
わずかに開いていた窓の隙間からピッピは飛び出した。
それまで飛んだことなどなかったのに、
いつの間にと思わせるほど力強い羽ばたきだった。
私が慌ててヴェランダに飛び出すより早く
ピッピはヴェランダの手すりを越え、
4階のほんものの空を誇らしげに
「ピッピッ!ピッピッ!!」と囀りながら
弧を描いて飛んだ。
ピッピ・・・・・・さよなら。

けれど
ほんの2-3周旋回すると
ピッピはヴェランダの手すりに止まって、
いつものように小首をかしげて私を見た。
身じろぎもしない。
掌を出すとちょんと跳び乗ってきて
またそこから私を見上げた。
小さな、真っ黒な眼で。
部屋に戻って、また座卓や
その上に広げた教科書やノートや、
私の手や腕を跳ねまわって遊んだ。

それからも時々窓は開いていたが、
ピッピはもう2度と、ヴェランダの手すりより
遠くへは行かなかった。
2006-01-01 [ Sun ]
最後の7つの災害が満ちている7つの鉢を持っていた7人の御使の
ひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。小羊の
妻なる花嫁を見せよう」。この御使は、わたしを御霊に感じたまま、
大きな高い山に連れて行き、聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、
神のみもとを出て天から下ってくるのを見せてくれた。
その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった。
それには大きな、高い城壁があって、12の門があり、それらの門には、
12の御使がおり、イスラエルの子らの12部族の名が、それに書いて
あった。東に3つの門、北に3つの門、南に3つの門、西に3つの
門があった。また都の城壁には12の土台があり、それには小羊の
12使徒の12の名が書いてあった。
(…)
わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる
神と小羊とが、その聖所なのである。都は、日や月がそれを照す
必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。
諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに
携えて来る。都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには
夜がないからである。人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに
携えて来る。しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う
者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの
書に名をしるされている者だけである。
(黙示録第21章)

ヨハネによる黙示録(全22章)の最後の部分、「ハルマゲドン」ののちに救済された
新しき、永遠のイェルサレムの描写。
毎年新年になるとなぜかこの場面と、黒人霊歌 "Jerusalem, Jerusalem" を思い出す。

♪ The Holy City
http://www.cyberhymnal.org/htm/h/o/l/holycity.htm
http://www.cyberhymnal.org/mid/h/o/l/the_holy_city.mid (midi)

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