journal in japan

記憶の中の詩

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2006-03-28 [ Tue ]
お洒落といわれるこの街で最初の匂いの記憶のひとつに
焼鳥の煙があった。
駅前のある店先で、焼いて売っていたのだ。
いつかその街に住むようになり、
その角の通りを毎日行き来するようになって初めて、
そこは深夜まで営業している食料品スーパーなのだと知った。

あれはロシア語で、何といったのだか。
精肉部、鮮魚部、・・・とそれぞれ別の店が入り、
日本語の「スーパーマーケット」というよりは、
中の雰囲気は共産圏の国営デパートだの国営市場に似ていた。
狭くて天井が低く、ミネラル・ウォーターを買っても
出てくると全身に焼鳥や揚げものの匂いがしみついていたが、
帰りが夜遅くなって翌日のお弁当の材料を買い足したいときや
雨や寒い日、バスを待っている間に(バス停の前にあったので)
避難するのには便利だった。
東欧を思い出したのは店員さんたちの商売っ気のなさも手伝っていたが
愛想はなくても親切なのは、むしろ民主化後の印象に似ていた。

初めて見たときからいかにもうらぶれた一角だったが、
あるとき不意に精肉部が撤退した。
店先に「鮮魚部は奥で通常営業しています」と貼紙が出た。
それからいわゆる「スーパー部」もなくなった。
他の店が開いている時間にはあえてそこで買物しないので、
私はそれを全面ガラス張りごしに眺めつづけた。
さすがに暇をかこちすぎたのか空きスペースの有効利用と思ったか、
店の前のほうにテーブルを出して魚を煮たり揚げたりしたお惣菜を並べたり、
車の往来を邪魔しない路地側にベニヤ板を伸べて青物を並べるようになった。
しかし相変わらず、売る気があるのかないのかというオーラが
人からも品物からも立ち上っていて、その「プチ出張販売」も
わずか数回でたち消えになったようだ。

そんな成行きをただ傍観していた私は、
売れゆきの悪い生鮮食料品に手を出す気になれなかったというより、
まさしく崩壊してゆく共産主義社会を呆然と見つづける旅行者の気分だったろう。
民主化直後に滞在したモラヴィアの古都で
旧国営デパートの2階のフォワイエから俯瞰で構図を決めかねていたら、
背後でカキンカキン!と重たい金属音が響いた。
振りかえると痩せて背の高い職人が、もう1度鑿と鎚をカキンカキン叩き鳴らして
ボディ・ビルダーのようにポーズをとり、
身ぶりで「俺を撮れ」とアピールしてきた。
日焼けと汗と埃で真っ黒な顔をし、作業着はぼろぼろだったが、
にこりともしない挙措動作に不思議な愛嬌があった。
土地の言葉でお礼を言うと、なんのなんのというように背中越しに手を振った。
目の前に不安や困難はあっても自由を手にして、
この国営デパートも新しい商業スペースに生まれ変わらせるのだ、
自分たちの社会をこの手で築いていくのだという
張りつめた期待が、再開発だらけの街じゅうに、
蒸して押さえつける暑気や埃にも負けずに、人間の踵や背骨を支えていた。
それと同じ空気、というより覇気は、ここには求めるべくもないようだ。

店先に並べられた野菜と、その横で所在なさげに一服する、なぜか肉屋のおやじさんを
私は撮った。
魚のお惣菜も撮りたかったが機会がないうちに鮮魚部もなくなってしまったので、
ちょうどテーブルが並べられていたあたりの柱と洗面台を。
クロス張りの剥がれかけた柱と、外れかけて傾いた家庭用洗面台と液体石鹸のディスポーザが
ついこないだまではそれでも生きていた、昭和の名残をふんぷんと放っていた。
いやその時にはすでに青果部も撤退して、
新しく槌音の響くことのない空間はうち捨てられて静まりかえっていた。
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2006-03-26 [ Sun ]
マグノリアが空色と褐色のあいだに
冬と春との間に 白い花をもたげている
そのふっくらした両の掌〔たなごころ〕の中に
すべてを包みこむように
 --我われだけが堕ちてゆくのではない
   我われをとり囲む世界のすべてが
   奈落へと堕ちてゆくのだ!!!--
あらゆる色を溶かし流しこんだ 純然たる白
馥郁たる白から また萌えだしてゆく彩〔いろどり〕のいのち
2006-03-21 [ Tue ]
待ち合わせにほんのちょっと早かったようなので、
風を避けてコンビニに入る。
雑誌コーナーに足が向いたのは
ファッション誌の春らしい表紙に惹かれたのと、
外から見える場所にいようという無意識のため。
何を手にとるでもなくぼんやり立っていたら、
年配の女店員さんの甲高い声が耳に飛びこんできた。
駅までの道順を説明している。
といっても、ただここからまっすぐ。
それがうまく通じないらしく、何度も繰りかえしている。
しかも目的地は駅ではないらしい。
「本屋」という言葉が出てくる。
たしかに駅前に本屋がある。

聞くつもりもなかったが、単純な内容が繰りかえされるので
話が見えてきた。
相手は地図を探しているらしい。
しかしこの店にはないので、駅まで行って駅前の本屋で買えばいい。
その途中にも何軒かコンビニがあるから、
ひょっとして地図をおいているところがあるかもしれない。
私も地図を探してコンビニに入ることがある。
視線を走らせたが、なるほどこの店には地図をおいてない。

「ドウモアリガトウゴザイマシタ」
尋ねていた人の声は小さかったが、最後の礼儀正しい言葉と
アクセントにはっとして、そちらへ振りなおった。
欧米系と中東系の若者。
小柄で線が細く、まだ物慣れない顔をしている。
4月からここの大学へ通い---あるいはそのうえこの街に住むのだろう。
「シツレイシマス」
こみいった話をいっぺんに理解するのはまだまだでも、
一生懸命勉強したのであろう端正な日本語と
よくわからなくても日本語で通そうとするひたむきさが初々しかった。

この町の若い見習い美容師さんのところには
カット・モデルと称して中国系の女子学生が代わるがわるやってきては
香港や上海や、台湾のファッション&ビューティ事情を
語りこぼしてゆくらしい。

「学生街」とは昔も今も
「よそ者に優しい町」の謂いである。
2006-03-15 [ Wed ]
ここ何日か、月が満ちていくのを見つめていた。
晴れたり風花が舞ったあと、
ゆうべの月は澄んで美しかったが
満月は今朝8時すぎだったようだ。
今宵、弥生もちづきを眺めながら
久しぶりにヤナーチェクかシマノフスキを聴こうか。
2006-03-14 [ Tue ]
ユーロチカにヴァレンタイン・メッセージを送った。
画像つきとはいえメールだったのは許してください。
14日に国際郵便が間に合うタイム・リミットなど、
1月のごたごたで余裕で逃してしまったから。
ニンカとCcメールだったのもわかってください。
メッセージと画像のもとネタはニンカと私の共通の思い出、
というかさらに遡れば、彼女の大恋愛にまで
いきつくものだから。

返事がないのでCcメールの送り方を間違えたか、
忙しすぎて余裕がないのかと、ちょっとだけ気になっていた。
(ニンカはメール不精なので、そんなには気にしなかった・笑)

で、来た。
去年だったか、きっかり2ヶ月遅れで誕生日メッセージをくれた彼。
(パートナーのラリョーサ、ニンカと私がみな射手座だと知っているので
奇妙な勘違いだし、そもそもちゃんとタイムリーにも
お祝いを言ってくれたのに・謎
月が違うだけで日にちは合っているのも奇妙だ・笑)
今年はきっかり10日早いホワイト・ディですか。
3月4日のこと。
雛祭の翌日だけれど、そんなことは彼は意識してないだろう。
昔1度ならず教えたはずだけどな(笑

案の定のワーカホリックぶり。変わらない。
なんだか力ないし、外国人の私でもすぐに気づくほどのミス
(たぶん修正し忘れ)もひとつふたつ見える文面。
でも彼の律儀で誠実な人柄は伝わってくる。
よかった。嬉しい。

ヴァレンタインにはあまり似合わないかもしれないものだけど、
ラリョーサに頼まれた品も、ちゃんと手もとにはあるのよ。
今度送るからね。

結びの1行に眼を走らせて、ドキッとした。
読みかえす。
それも不用。要は、たった1つの単語の問題。

どっかぁ~ん。

ユーロチカめ、今度会った時に私にいぢり倒されたら、
それはラリョーサでなくて自ら身に招いたことだと覚えていてね(ニヤリ

心がほのぼの温かくなった。

ありがとう、素敵なホワイト・ディのプレゼントでした(微笑
2006-03-08 [ Wed ]
われは思ふ
末世の邪宗
切支丹でうすの魔法
黒船の切支丹を
紅毛の不可思議國を
色赤きびいどろを
匂鋭き
あんじやべいいる
南蠻の棧留縞を
ぱた阿刺吉
珍酡の酒を

(白秋「邪宗門秘曲」 明治42年)

マジシャン仲間がゆるやかなネットワークで開いた店の1軒を訪ねる。
馴染んだ別の店と同じ、乾いてくつろいだ空気。
ただインテリアはヒンドゥの神像やロシア・イコンではなく
アンティークのカメラやミシン、
やはりアンティークの・・・というより音が流れてこなければ
壊れているのだと思いそうなスピーカから流れるのは
クラシックではなく、ジャズやロックのナンバー。

70年代風のカジュアル・アイヴィに
すっかり霜におおわれた髪とプーマの革スニーカだけが
今は21世紀なのだと確認させてくれるマスターがたてるコーヒー。

うまく灯りの下に席を得たのと
店ががら空きで空気がきれいなので編みものをしていた手を、
ふと流れてきたバラッドが止める。

一緒に口ずさむ。
高校生バンドでコピーした中にはなかった曲。
だから歌詞をきちんと覚えたわけではない。
それでもいつどこで初めて聴いたのか、ひどく懐かしい。
鼻歌ならついて歌える。

隣のテーブルで煙草を吸いながら文庫本を読んでいたマスターに尋ねる。
手料理の隠し味を尋ねられた人のように思い出す眼で耳をそばだて、
"stairway to heaven" とだけ答える。
「あぁ、『天国への階段』!」
目顔で頷きあって、またそれぞれ自分の手もとに視線を落とす。

インテリアや音楽の趣味は、そう
実家の近くで秘密の隠れ家にしていた喫茶店に似ている。

すっかり寛いで店を出ると
澄んだ空に蛾眉の月が目映かった。

stairway to heaven (lyric & midi)
2006-03-01 [ Wed ]
なんのことなしにふり返ると、向こうに女性の横顔があった。
・・・・・・
ひとつの名前がひらめいた。
そっと確かめたら、やはりその人だった。
髪はほとんど白くなり、日本に長く暮らした人が往々そうであるように、
一見してはエキゾチックな日本の老婦人にも見える。
しかしまた、かつては広大な版図を誇った帝国の末裔の民族らしく、
複雑な血の混じった繊細な顔だちは、わかる者にはわかる。
2-3年前だったか、日本人の夫を突然襲った悲劇で、
未亡人になった人である。

つと彼女は立ち上がり、日本茶を淹れにいった。
その貴婦人然とした立居振舞はやはり大和撫子のようでもあり、また
彼女の故国のさる女流詩人を彷彿させもした。
---そう、突如公安に夫を処刑され、
彼の子であるというだけの理由で、一人息子まで投獄された、あのひとである。
面会を待つ長蛇の列で他の母親から託された思いを、
心の中で我が子の名を呼びつづけた痛みを、
「記憶のなかの詩」に編みつづけた---

父を暴漢に奪われた娘は、
母の柔らかい顔だちに、凛とした光を放つ父の眼が美しい。
真相を求めて父の遺品、とくに遺稿を一人で整理・調査しているという。

それから私は鞄をとって、
彼女を包む静謐の空気をネガのように浮きあがらせている、
いつになく浮き足だったその空間を出た。

(2004年10月:再掲)
2006-03-01 [ Wed ]
私が中高6年間を過ごしたプロテスタントの女子校は
自由闊達な校風が有名---といえば聞こえはいいが、
破りたくても破ってもちっとも楽しくない
当たり前すぎる校則を3つだけ与えられ、
「あなたたちには聖書がある。
あとは自分で考えなさい」などと突き放され、
かえって生意気盛りの10代の反抗心をそがれて育った気がしなくもない。

それでも不文律のタブーというものはやはりあって、
元号を一切使わない
(年代によってブレはあったようだが、おかげで私は
元号で年数計算するのが今でも苦手だ・笑)とか
日の丸・君が代なしとか・・・・・・
なかでも子供心にいちばん不可解なタブーは、
「黒いストッキング」だった。

60年代末の学園紛争で制服は廃止されたが
標準服としてセーラー服があり、式の日や
通学用の私服を考えるのがめんどうな時には便利ではあった。
靴下はソックスかストッキング。
しかし、ストッキングの「黒」は学校で認められていなかったのである。

学校でストッキングを破ってしまい、購買部に買いに行くとする。
ストッキングの箱をのぞいて「黒は・・・」などと言おうものなら
購買のおばさんが眼鏡の奥から上目遣いににらむ。
「先生から説明があったと思いますが、
この学校では黒いストッキングを認めてないんですよ。
ここにあるベージュか紺、それしかありません」

そういえば聞いた気がしなくもないけれど、
つまらないしよくわからない話で、ぜんぜん覚えていない。
「きちんと説明されていない、納得できないものに従えない」のは、
校風が骨の髄まですでに沁みこんでいる証拠だ <居直り
でもないものはしかたないので、そのつどどちらかの色を選ぶ。

まぁ「認めていない」と「禁止している」はとうぜん違い、
外で買った黒いストッキングをはいて登校しても、
別に何も言われない。
卒業生も少なくない教師の誰一人として、
生徒のストッキングの色をいちいちチェックするなど
まったく興味をもたなかったのだ。
だから黒いストッキングは、教師への反抗、
不文律に対する抗議のシンボルにもなれなかった(笑

卒業後ずっと経ってから、初代院長矢嶋楫子の評伝を読む。
遅ればせながら「タブー」の意味を理解する。
社会運動家を多く輩出した、まさしくその先陣を切った楫子は
多岐にわたる功績のひとつとして「公娼廃止」運動を率いた。
そういえば教師や購買のおばさんが言っていた
「ストリート・ガール」とは、コノコトダッタノカ。
新宿や原宿闊歩してるティーン・エィジャーじゃなくって(爆
「黒いストッキングはストリート・ガールのはくものだから
楫子というカリスマ院長をいただくこの学校では認めない」
そういう意味だったのか。

もちろん(コラ)私は黒いストッキングで平然と通っていたし、
そんな日は学校で補充できないのを知っているから
ストッキングを傷つけないように慎重にふるまった(笑
高校を卒業してからは黒いストッキングはもちろん、
真っ赤なルージュやネィルも覚えたけれど、
幸か不幸か私を「ストリート・ガール」と見る人は
どうやら皆無のようだ <それはそれで自爆もの

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