journal in japan

記憶の中の詩

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2006-05-30 [ Tue ]

昼すぎから天気が崩れる、かなり荒れるかもしれない
という予報はみごとにはずれた。
頭を押さえつけてくる陽ざしに雨傘を翳す気になれず、
俯きかげんに歩いているのは、じっとり湿った空気に
雁字搦めにされて身悶えしている気分だ。
いつの間にかシャツと同じ色にまで戻ってしまった
むき出しの腕も肩も、やわな陽ざしをうけてじんわり疼く。

ふいと視界を遮ったのは、よく繁ったひと枝。
雲龍紙を手で丸めてしぜんに開かせたような葉のあいだに
ぽつぽつと実が生っている。
まだ黄緑がかった赤から、ほとんど黒に近い赤まで。
桑だ。
こんなところに生えていたのか。

少女のころ、学校の帰り道に摘んで食べた桑の木はまだ小さくて
眼の高さに、さほど豊かでもない実りが子供のいたずらを待っていた。
その木はそれ以上たいして育たないまま、
実をつけた姿のままで遠い記憶のひとこまになってしまったけれど
今眼の前の木は高く枝も大きく広げ、
食べごろの実は少し手を伸ばさないととれない。

手を出さずに通り過ぎたのは、
少女がもう少女でなくなったからではなく・・・
いや、その実を啄ばんだなら
葉を綴りあわせて肩をおおうくらいの知恵はついたのかもしれないのに。

しかしパレスチナの無花果の木とは違って
疲れた人にわずかな蔭と風と、
漿果を舌の上でつぶしたときの渋みのある潤いの記憶をくれた桑の木に
私は感謝して視線を高く投げた。

ありがとう。
こんど通ったときには、あなたの木蔭と実を
ゆっくり味わわせてもらうわね。
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2006-05-28 [ Sun ]
Kaethe Kollwitz


最初は行くつもりがなかったのだけれど、
表現主義が何となく恋しくなって(笑)最終日に駆けつける。

奏楽堂の前を通って、上野の森の最奥部。
意外と混んでいる。意外と広い。
「ヨーロッパでも類を見ない大回顧展」だという(汗

同じ表現主義の K.K. は大好きで、
思えば N.d.S-Ph. の回顧展で Sprengel へ行ったとき
ミュージアム・ショップで K.K. と E.B. のスケッチ集を
手に入れた・・・そんな縁もあったのよね、と。

top に使っていたこともある K.K.(現在はページごと削除)と同じく、特に彫刻作品は手がとても印象的。
ただ K.K. の作品には自分もいっしょに抱きしめられたくなるけれど、
E.B. の作品はこちらが抱きしめたくなる、あるいは
掌に包みこみたくなる。
その違いは?
(「手」についての考察は後日・殴)

簡素でいて観念的な作風の裏に、
最後には「頽廃芸術」として迫害、破壊された、
K.K. と同じく激しい時代を生きたというだけでなく、
E.B. の個人史もまた激しいものがあったのだと知る。

後半生、第1次大戦の戦没者慰霊像の面だちが K.K. に似ている
という解説を読み、ぎょっとする。
隣の、60代とおぼしき学者らしい男性はウンウンと頷いてるし。
 http://www.ernst-barlach-stiftung.de/pix/Schwebende.jpg
 http://www.ncf.ca/~ek867/kollwitz.jpg
 http://www.ifa.de/kunst/kollwitz/pics/selbstbildnis.jpg
  (K.K. による自画像というかセルフ頭像)
よく知りもしないのに E.B. を見たかったのは、
そうかそういうことだったのか・・・

作品名の訳語がおかしいのがいくつか気になっていたが、
上映ヴィデオはなんと原語のまま。
音量をしぼってあるので、最前列のベンチの前に座りこんで
耳をすます <ジーンズでよかった(笑
私に言ってくだされば、字幕かナレーションの下原稿くらい
作ってさしあげましたのにー <75%本気

ま、彼の作品に散見される「漂う人」のモティーフのデジャ・ヴュ感、
その正体は「ツェッペリン号」だったらしいとわかったのは、
大きな収穫でした(笑

美術館の1階カフェは・・・どうやら一部は大学カフェらしく、
掲示板に乱雑にビラが貼られていたり、
日曜というのにテラス席で教授と学生が何やら打ちあわせをしている。

苦手なはずの湿った椎の香りが、今年はなんだか嬉しい。
他にもいろんな樹や葉の香りが漂っていて、いい気分。
桜木町・谷中~根津~・・・と歩き
(もぉ歩かないと、別の意味で具合悪くなりそうでしたぁ・笑)
ほんとうは本郷まで行きたかったが、
千駄木からメトロに乗る。
途中の乗換駅のエスカレータは、通るたびに懐かしい気分に
なっていたところ。
そうだ、N.d.S-Ph. のグロッテと花火を見物したあと、
終列車に乗ろうとこーんなエスカレータをがんがん駆け上がっていた
夏の夜、私の腕には K.K. と E.B. の素描集が
しっかり抱かれていたのだ。
スロヴェニア人の音楽青年にお金を渡してまでゲットしてもらった
(こういう人種には、芸術家や芸術作品に対する私の執着が
わかってもらえると思ったので)スケッチ集も、
どこがいいのだかわからない、
というか2人ともそんな名前は知らないという仲間も
少なくなかったけれど。

10年ほど前には無差別テロに巻きこまれた駅の1つ、
でも個人的にはその日帰り旅行のディテールを思い出すために、
今日は分厚くて重たい回顧展のカタログを抱えて
ここを通ったのかもしれない。

はい。テロに遭った人たちのインタヴュー集、拝読しました。
2006-05-23 [ Tue ]
EU Film-Days 私の楽日(笑

あまり本調子といえなかったが朝から走り回り、
走って走って上映会場にたどり着き、
じーちゃんのしゃっくりを聞くためになぜここまで・・・と
自問していたが(苦笑
そういう人、意外と多かったのである。
(4年前のW杯では試合観戦会場になったらしいホール、
スタッキング・チェアをただのフロアに並べて、
座り心地も・・・だが音楽や映画鑑賞向きではない)

『ハックル Hukkle』(2002年ハンガリー)
 公式サイト(英語版あり)

「セリフなし」とあるが、
じーちゃんのしゃっくりだけでなく
村の生活やまわりの自然の音がていねいに描かれて
すべてを美しく映す(蛇の鱗や豚の睾丸まで・・・)
映像と調和している。

それが時々、フィルム編集室やレントゲン写真、
村の工作機械や長閑な風景を破る飛行機の爆音に遮られる。

なぁ~んでもないけれど、ほっとする作品。
マジャール語の民謡(これは字幕つき)にとどめを刺されて、
マルタ・セベスティエーン Marta Sebestyen をまた聴きたくなる。

わけのわからない映画なのに、エンド・タイトルが延々と流れても
ほとんど席を立つ気配がなかったのも「笑」。

晴れているせいか246沿いのほどよい明かりか、
夜空は澄んで優しい藍、椎の青臭い匂いもふしぎに心地よかったが、
断続的に咳の発作がまだ出るので、JR 駅までの散歩は諦める(涙

帰ったら薬を服む体力もユーカリをたらす気力もなく
意識を失ったが、朝の寝覚めはリラックスしてすっきり。

「記号と音」の続きは、たぶんそのうち書けると思います(笑
最後にセリフのない作品を選んだのも、意識的にはそのつもり。

(他に観たのは『眠らない夜 Set Point』(2004年エストニア)・・・
・・・う゜ーん、なんだか救いがなかったのである。
サスペンス・タッチで75分、日本の2時間ドラマに翻案できなくもなさそう
だが(たとえば『ベルリン天使の詩』→『シティ・オヴ・エンジェルス』
くらいの差異感で)、そういうパターン化では解消しきれない
後味 nachgeschmack がざらりと残った)

ドイツ映画祭

個人的にはしばらく、文化生活は美術展やコンサート、
読書や音楽鑑賞を希望・・・
2006-05-21 [ Sun ]
FA-niki-de-st-phalle-3.jpg


Niki de Saint-Phalle、没後日本初の回顧展。最終日(笑

Sprengel や Herrenhaeuser 庭園@Hannover で
Niki づくしの1日を過ごした('03 夏;Niki は '02年5月没)ときの
強烈な印象はなかったが、Tarot Garden の習作やモティーフを
いくつか見られたのがとりあえず収穫。

The Tarot Garden

カタログは・・・上記お庭で grotto に入ったときの感覚
 http://www.9staedte.de/__we_thumbs__/1636_2_Hannover_g.jpg
 http://www.niedersachsen-tourism.de/imperia/md/images/reiseland/regionen-staedte/regionen/hannover_region/287.jpg
"Hon" に遭遇したときのそれにはかなわないだろうが・・・)
を矮小化したくなくて、手を出さなかった。
2006-05-21 [ Sun ]

窓を開けても、港は見えない。

朝から陽ざしが強かった。
窓の下には、桜の大樹が並んでいる。
毎朝夕見なれたはずの光景なのだが。
新緑というにはもうたっぷり太陽を吸いこんだ枝々が
A. 兄弟か B.N. のバロック彫刻のように
ぐいと眼前に迫ってきた。
それで初めて、いつしかこの樹々が
けっして小さくはない区画の半分をも覆うほどに
育っていたのを知った。
心がどんどん内向きになっていた間に。
足はどんどん外を向いていた間に。

濃い緑の蔭と息のつまるような湿った香り。

「(…)ここへ登って来られるとき、御覧になりませんでしたか、ドクター。
今年は小麦がとてもよく育っているのを。今の季節に、もうこんなによく
のびて、葉の色が深くなっているのは、奇蹟的なことです。(…)」
(A.S.)
2006-05-13 [ Sat ]
ラリョーサが我が家の玄関前に立ったとき、やおらカメラをとり出して、
向こうの丘の上の空に五線譜を描く高架鉄塔に何枚もシャッタを切った。
ヨーロッパの映像作家は尾道のなんでもない道路を撮るのに、
左隅の電柱や電線と右上から斜め下におりてくる路地の「止まれ」の逆さ文字で
みごとなV字を描いてみせた。

私なら極力はずそうとする電線を、彼〈女〉らは無邪気かつ巧みに
構図の中にとりこんでしまうのだ。

素人写真を撮りながら、あるいは(特に日本で)撮れないのは、
私は文字を意識しすぎるのではないかと、
W夫妻の写真展を見ながらふと思った。

私にとって意識的に文字を入れた・・・あるいはそこに書かれた文字のために
写真を撮るのは、仕事の一部でもある。
また日本語を読めない友人たちのために、象形文字風にデザインされた
文字や看板を、茶喫み話のたねに撮ることもある。
しかしそうでなければ、意味を持って迫ってくる文字や言葉を
私は視覚的な記憶媒体である写真の四角い枠から、必死に排除しようとしてしまう。

けれど電線も漢字もない国から来た人たちにとっては、
それらは純粋に視覚的な記号、または図柄でしかない。
言語のとらえ方そのものが違うせいもあるのだろう、
文字を見ると音や書くときのペンの勢い、意味までも想起してしまう
東アジア人のように、連想の嵐に耳をふたがれたりしないから、
むしろ楽しんで積極的に、ファインダの中にとりこんでいく。

そんなことを考えたのは、スロープの底のギャラリーへ赴く前日までに
観ていた、あるいは思い出した映画たちの共通項のせいでもある。
家族とは思えないほどてんでばらばらに個性的な話し方をする俳優たち、
言葉を拾う気があるのかないのか、ハンディ・カメラの微妙な揺れを
そのまま伝える映像のように、音量も音響も一定しない科白、
詩の朗読や詩人の呟きが、分断されたモノクロの街を流れていく場面---
私淑した巨匠の作品の舞台を訪ねた作家が、急坂を登る息を弾ませながら
ぽろぽろと零していく言葉は、彼を「カントク」の国で一躍有名にした
代表作のナレーションにそっくりだった。
(その代表作もこの短編映画も、すべては「カントク」へのオマージュなのだ)

もちろん語られる科白の内容に、重要な意味がないわけではない。
しかしそこでは言葉たちはむしろ音でありメロディやリズムであり、
だから義理の親娘の尾道弁と東京弁が響きあうさまも、
奈良町の路地路地の言葉がラストでは山と盆地を見晴るかしてふり注ぐ
科白のない歌に昇華していく過程も、
孤独な人々のモノローグを明るく突き破ってダイアローグへ、
そして空と地上の天使のかけあいへと言葉を動かしていく
イタリア系アメリカ人俳優の陽気に訛った米語も、
それだけで本質的な役割を満たしているといえる。

これら3つの作品がそれぞれ
「大陸のもういっぽうの端」で崇拝者と私淑する後進を見出し、
あるいは人気を博し、あるいは賞を得たのも、
もしかしたら言葉を扱うこの手際にひとつの秘訣があったのではないかと、
素人の印象で空想をめぐらしてみた。

理解できない言葉が好きだ。
読めない文字が好きだ。
それでもなおさし出される意味を自分の中にとりこみたかったら、
とにかく五感をそばだたせて、いわば一糸まとわず
波に身を浸していくしかない。

旧東独の鉱夫がディープ・サウスへ出かけ、
アコーディオン演奏とダンスと、
ドイツ語と英語で響きのよく似た単語と、
そしてあろうことか学校時代に強制されたロシア語で
(これはチェコ出身のバンド・メンバーと)
旅の情けに運ばれていくロード・ムーヴィーは、
観衆から温かい笑いを立ちのぼらせた。
そう、私の旅路を最初から守ってくれたのは、
やはりそんな手探りの音のやりとりだったのだ。
2006-05-13 [ Sat ]
(後半、通訳(翻訳)関係の話題で最近ちょっと不愉快なことがありました。
mixi がらみですが、ミク友さんともリアルの友人・知人や仕事関係とも無関係です。
それでブログか、会員制でさらに限定公開の mixi かどちらに載せようか
迷ったのですが、長さの関係で・笑・ブログに載せます)

会場は都内のある大学。
メトロの出口を出たところ、キャンパスの塀の外側に
掲示板と学内地図。
会場の場所を確認しようとしたら、「スイマセ~ン」
とんでもない上からニホンゴが降ってきた。
「コレは・・・」映像作家のポスターを指す。「ドコデアリマスカ?」
「私も行くんです」
え~と、だから今探しt・・・
わらわらと駆け寄ってくる足音。
「この人も行くんだってー」と、英語。
留学生なのだろう。若いヨーロッパ人の男女3人。
みんなひどく背が高く、後になり先になりして走っていくのだが、
彼〈女〉らどうしは不思議な言葉を話している。
私の知っている言葉たちにわずかながら似ているのだけれど、
まったく聞きなれない言葉だ。
ためしに私の使えるもうひとつの言葉を口走ってみたが、反応は薄い。
ただ長蛇のしっぽにつかまって待っている最中、
ヴェンダース夫妻を見かけて大はしゃぎし、1人は周りをうろうろしてみている。
そんな様子が微笑ましかった。
シンプルだけれどセンスのいいファッションで、言動も無邪気でいて慎ましかった。

天井桟敷に押しこめられ、開始前から消耗してくる。
ふと振り返ったら知人と眼が合った。
何年ぶりだろう。
・・・ていうか、スタッフか招待席にいると、だから今日は会えないと思ってました。
兄弟子のパートナーで、私にとっては昔のランチ・メィト、というより
映画研究・評論の仕事をしているおしゃれな才女。
講演会の告知には英語通訳者として別の名前があり、
表に出ないことは知ってましたが。
「ん~、通りすがりに来てみたのよ」すぐ近所に住んでいる。
「てか、さっき別の仕事の打ち合わせしてたら、これからやるよ~とか言うから」

「ねーねー、映画と講演とどっちが先?」
ごめん、プリント・アウトしたインフォメーション、席の書類鞄の中にある。
「映画先ってことないわよねー、20分も見せられるのぉ?」
さすがプロ。私はまったく聞いたことないタイトルなのに。
「話すぐ終わるかなー、巨匠だもんそのへんはねー」
オネエサマ、ヴェンダース作品を見ただけでも、彼の話がどれくらい短くすむか
想像つきませんか?(笑
「そういえばね、表参道でサインと握手もらってきた♪」
10年以上前、たぶん六本木のミニ・シアターでヴェンダースに会ったと
はしゃいでいたのは彼女だ。
(「『ヴェンダース退屈だよねー』とか言ってたのに、エレヴェータで乗りあわせたら
 握手せがんじゃったー♪」と・笑)
「写真展でも10分くらいの上映してたけど、なんだけっきょく
『東京物語』も『東京画』も、ずるずる引きずったまんま尾道まで来たのねー
って感じ」
「引きずるでしょー」
「まだ探してたんですか、あの面影・・・って」
「あはは、もう30年もそんなことやってんじゃない?あの人」
彼女と個人的なコンタクトはないけれど、この話は彼女にしたいと思っていた。
偶然でも会えてよかった。ありがとう。

さて、英語による講演で、逐次通訳つき。
通訳の現場を「見学」したくて、主に一般公開されているこういう場を
たまにのぞいて歩いているのも、今日来た1つの大きな理由。
・・・と、いきなりやりました。
みごとなフライング。
演者がまだ話していないことを、通訳者が先に通訳してしまったのだ。
いかにもあらかじめ訳した原稿を読み上げているようなので、
いつかはあると思っていた。
そのうち、"story" を「物語」と訳していることに引っかかる。
これは個人的なこだわりで、ちょうど実家に置いてあるはずの蓮實重彦の
「物語」論や、学生時代悩まされた18-19世紀ヨーロッパの小説理論の
ことを考えていたせいなのだが。
ヴェンダース自身があとから「"story" は日本語で言えば "monogatari" ですね」と
言っていたけれど、ずぶの素人でもない日本語の通訳者はもうちょっと考えたほうが
(事前にきっちり日本語訳用意してきてるんだし)いいのじゃないか・・・と。

巨匠の話は長い。
時間を見て話をところどころ端折っているようだが、それにしても。
通訳者がどんどんエグゾーストしてくるのがわかる。
サポートまで時々あたふたしてるのが、2階席の後ろからでも見えますがな。
2時間(以上)もの時間を1人の通訳者にぶっ通しでやらせるのは、
ちょっと負担が大きすぎるのではないかと思った。
演者が講演の草稿を通訳者に渡してからさらに手直しするのはよくあることで、
ヴェンダースも昨日ずいぶん書き加えたという。
渡された草稿と実際に行われている講演の内容を眼と耳と頭で比較しながら
通訳していくことは、たしかにものすごく(原稿があるだけにかえって)
大変な作業。
でも、だいじなキー・ワードや発言を訳しおとすことが増えてきたのも、
この通訳者だけの責任ではない。

講演が終わり、時間はとうにオーヴァーしていたが質疑応答。
最初にパネリストと称して壇上に上がったどこぞの教授(寡聞にして存じあげず)がぶっ飛びもの。
30年前、パリ留学中の自分の「ヴェンダース体験」について滔々と・・・
・・・もといぼそぼそと語る。
これがこの人のスタイルかもしれないのだが、ちょっと TPO が違う気がする。
と、なにか「スイッチ」が入ったのか、フランス語で直接ヴェンダースに質問をぶつける。
や、ヴェンダースには先ほどの通訳者が、同時で通訳をしてますよ。
てか、どんな質問だったんですか?
通訳者に促されて、質問者自身が日本語でもう1度繰り返す。
これが2,3度と続いた。
最初は通訳者の負担を軽くしようとする気遣いかとも思ったが、
会場は明らかにヒイている。
というよりヴェンダースは同時通訳で話にきちんとキャッチ・アップしており、
日本人の聴衆もヴェンダースの英語をそれなりに理解している。
たとえ質問者が自分で「逐次通訳」しているとしても、
同じ質問がフランス語と日本語で繰り返されるのは時間の浪費以外の
何ものでもない。
まして日本語で言ったのと同じ内容をフランス語でヴェンダースに質問するのは、
通訳者の職域侵犯でもある。
なんだけっきょくこのプロフェッサー、自己満足と自己顕示のためにフランス語
しゃべってるんだ、と思ったら馬鹿馬鹿しくて、ドイツで買ったイタリア革の
ローファーを投げつけてやりたくなった(ヲイ
朝から昼から夜もぶっ通し、時にはアルコール入りで語り明かすような
「魔の山」シンポみたいな状況なら、こういうスタンド・プレィヤーも
たまには楽しくていいのだが。
2006-05-13 [ Sat ]
一般には「母国語」と訳されるが、
neutral かつある意味 political correctly には
「母語」という。
人種と国籍、そして居住地域の主要言語が必ずしも一致しない場合
(身近な例では在日2世以降の中国人や韓国・朝鮮人)
「母『国』語」という表現は政治的公正さ以前に
現実に即しているとはいえない。

一般に「母語」の定義・入門編はこんなところ。
ただし、アイルランド人のノーベル賞作家のことを調べながら、
それだけでは話が先に進まないような気がしていた。

通訳コースで講師が「ボゴ」と言ったら、
新しく入った仲間の1人が同じテーブルの私たちに訊きかえした。
先生はすぐに気づいて、上記説明をかいつまんでする。
「ただし『母語』とは何かというのも、なかなか厄介な問題で・・・」
それ。センセイ、そこなんですそこ。

先生がすかさず開いたのは自分の論文の抜刷。
そこから、トップ通訳の登録言語とランクを記述した部分を
いくつか紹介。
 A言語:母語あるいは母語と同等に完璧にマスターした言語
     active(この言語から他の言語、他の言語からこの言語への通訳が可能)
 B言語:Aほどではないがそれに準ずるレヴェルにマスターした言語
     active
 C言語:passive(この言語からAまたはB言語への通訳が可能)

しかし先生が言いたかったのは、「完璧にマスター」とはどのレヴェルかということ。
文字どおり「お母さんから習った」というだけでは、とうてい職業として
言葉の使い手にはなれない。
その意味で定義するとすれば、「家庭および学校教育をうけた言語
mutter- und bildungssprache」とでも言うべきではないか、との議論もあるという。
「いえ、就学を待ってからでは遅いんです」とツッコミたかったが、
これ以上脱線させるのは遠慮して黙っていた。
授業の後半では、某大統領隣国訪問の際の、大統領主催晩餐会のスピーチを
やるんです。
現場ではあるいは、通訳など必要なかったかも知れないのだが(笑

ちなみにC言語とはいっても、普通の「一応できます」レヴェルとは雲泥の差。
登録していない言語でも、現地に旅行・滞在したり、人との会話や読み書きは
流暢にできるのは当然。
一度ゲストで来たことのあるトップ通訳であり、通訳科教授(ユダヤ系フランス人)は
登録言語(ヨーロッパ言語)の他に、インドネシア語や中国語の心得もあるという
     <この話は本人も触れていた

帰り、ちょっと洒落たカフェ風に改装されたファストフード店へ。
いっそうきれいになったのはいいが、ヨーロッパのカフェのような
いわゆる高級紙やちょっとハイブラウな雑誌の閲覧ラックがなくなっていてショック。
で(って、をい)いただいた抜刷を出して、油のかたまり(笑)が運ばれてくる前にと
読みはじめる。
いきなりノック・アウトされました。
センセ、これ大学の紀要に発表した論文ですか?
この導入、詩的すぎます(笑

通訳者は必ずしも翻訳者とは限らない(実際は兼ねている例も多いが)ので、
少なくとも通訳の場では、書き言葉としての言語能力は要求されない。
これは以前、先生と私とで意見が一致したところ(エヘン <馬鹿
デモンストレーションで、先生の簡潔でいて緻密、しかも耳から聞いて
すんなり理解できる通訳アウトプットの美しさにはいつもため息をついていたのだが・・・
センセ、まだ裏、もとい奥があったんですね(笑

しかし一転、本論に入ると、通訳デモのときに通じる文体に切り換わる。
「トップ通訳の登録言語」うんぬんのくだりは読み流す。
昨学期の終わり、ジュネーヴ大学の通訳科教授が「通訳の守秘義務について」
と題する学生向け講演で、主に2大戦期~冷戦時代~冷戦終結以降の
とりわけいわゆる東欧をはじめとする(旧)共産主義国の通訳たちの例を挙げた
部分のテープを聞かされたとき、私たちはシャドゥイングもメモとりも
しばしば忘れて、スパイ小説ばりのエピソードに聞き入ってしまったもの(笑
戦争がらみではないが、やはり守秘義務や、マイノリティの人権をめぐる
駆引きや丁々発止に話が及ぶと、いけません、ドキドキしてきました(笑
抑制のきいた穏やかな文体で実はかなりのことを書いているのは、
ふだんの話し言葉の操り方と同じだ。

ここで油とソースのかたまりが到着。
汚したくなかったのもあるし、抜刷に折り目をつけたくなかったので、鞄にしまった。
たしかこの先生、日本の大学時代の研究テーマは言語哲学、
最近でもその分野の業績はあるらしいのをウェブ・サイトで見た。

ところでその日の授業、最初は日本語のシャドゥイングから始まった。
「やってみなはれ」・・・ぇ゜、プロXですか(笑
そうではなくて、まず聞き手は鈴木健二アナだし、
佐治敬三のインタヴューに映像やナレーションをつけたものの音声部分らしい。
松下幸之助の時もそうだったけれど、こういう一流の企業家はんゆうのは
話が上手でいらはるんですわ。
しかも佐治はんも松下はんも関西弁喋らはるしな、
本番ではようせんけど練習やさかい全員1人で聞き手と話し手の両方せなあかん。
今ぁどっちがしゃべっとんのかちゃんと区別せなあかんから、
江戸っ子のあたしもな、鈴木はんのコテコテえぬえちけい風共通語と
佐治はんの関西弁と、下手でもしゃべり分けるんですわ。
まぁそらまぁなんとかこなすとしてもですな。
問題は通訳のときなんですわ。
ばいりっしゅでなきゃゆうこたあらんけど、
生き生きとした言葉に訳すのがこら難儀でしてなぁ。
みんな面白がって、いっくらふだんどおりにちゃんと通訳できても
きれいすぎておもろない言い方だとばんばんダメ出ししくさる。
センセもわろて見てはんのや。声出して笑いはるんやわ。
(なんちゃって関西弁ギヴ・アップ・爆)

先生は神戸出身。
共通語を話しても柔らかい抑揚やアクセントは、
家庭では共通語を厳しく躾けられた、やはり神戸っ子の亡き恩師を思い出させる。
ただ関西弁を話しはじめると、急に眼が輝いて、表情が生き生きしてくるのが
面白い。
これが先生の「母語」なのだ。
(関西人の仲間の1人に言わせると「先生の関西弁はきれいすぎる」、
男性より女性の関西弁に近いそうだ・・・ダッテソレガ、母語?・笑)
通訳の現場で話者の特定の訛が強かったりして、これは日本語も共通語にしては
話が生き生きしない、というような時、
「そのときは僕の関西弁の出番なんです」と眼をくりくりさせて言った。
教室じゅうが沸いた。

(april 2006)
2006-05-11 [ Thu ]
都内も田舎も歩き回ってばかりいる。
都心は主に、学校時代のテリトリーである、
(好奇心盛りの子供に通学定期を持たせると、よくこういう現象が起きます・爆)
皇族や国賓の移動時には上空ヘリのラッシュになる一帯。
今日もたぶん中学以来くらい、椎の若葉や若枝が強く青臭く匂う
靖国神社の境内を少し歩き、面白いアングルを発見。
思いっきり手ブレした気がするも、空がすっかり曇ってるから
お天気のいいときに出直すさと自分に言い訳。
山でよく見られなかった桐の花、1本だけ満開になっていて、
花よりずっと華やかな香りを楽しむ。
これも学生時代から通っている九谷焼の店の喫茶室でお抹茶と生菓子を。
こないだの根津美術館の喫茶室と違い、ひたすら器で勝負という印象だが、
なぜ今桜花のお茶碗なのかわかりません・・・
千鳥ヶ淵の力強い葉桜の下を歩きながら、景観問題で大きな話題になった
イタリア文化会館を木の間隠れに見てみる。
ぎりぎり華やかさを保った、けれど落ち着いたきれいな赤で、
特に天気の悪いこんな日には、薔薇のような彩を添えてくれると思うのだけど・・・
・・・ダメ?

ここまでは土地勘にまかせてサクサク進み、
目的地のイタリア文化会館では、まず図書室を見学。
美術書や音楽書がいっぱいある。
今度ゆっくり沈没します(笑
パンフレットやチラシ類の棚と自販機がある談話コーナーで
イタリア人どうしの弾むようなお喋りのメロディを BGM に喉を潤す。

そのうち開場時間になったので、B2のホールへ。
企画はこちら→http://www.eufilmdays.jp/
驚いたのはパンフレットに「整理券を配ります」と書いてあるのに、
待っている人も並ばないし、
整理券を配っている様子もない。
そのままなんとなく誘導されてホールに入る。
日仏学院でもこんなことなかったのに、さすがイタリア、か(笑

この日、初日の上映は2003年ドイツ作品。
ぽわぽわフランス語を話す女子学生風の2人連れなど入ってくるが、
上映時間が近づくにつれてドイツ語の歯擦音の響きが目だってくる。

『シュルツェ、ブルースへの旅立ち Schultze gets the Blues』
旧東独の鉱山夫が主人公だとか、ロード・ムーヴィー風だとか、
少なくとも胸がワクワクする紹介文ではない。
ただ「鉄のカーテン」が消滅して以降の、
中欧(いわゆる東欧)の変化には個人的にずっと興味を持ってきたので
   <スラヴ好きだからー
半ば義務感で選んだ一作。

これが意外と面白かったのである。
『ベルリン、僕らの革命』で日和った「68年世代」の実業家に扮したH・クラウゼが、
今度は時代の変化にうまく乗りきれない失業鉱山夫をじんわり演じている。
ディテールでにやりとさせたり、オチのつけ方も「ヨーロッパだなぁ」と、
いろんな人が口々に言いながら出口に向かった。
外ホールの柱のかげで、日本人とドイツ人とイタリア人が輪になり、
イタリア人がオーヴァー・アクションとイタリア語アクセントの強い英語で
映画について熱弁をふるっていた。

あと観られたら、中北欧作品を2本。これで打ち止め。
GW 中にこれくらいは消化できるだろうと思ったヨーロッパ映画2本の DVD も
観ないまま返却(涙

個別にかまとめてか、あとでレヴューを書きます <また後回しかい

2006年日・EU フレンドシップ・ウィーク:http://www.jpn.cec.eu.int/fw/
グリム兄弟展:http://www.fujisan.ne.jp/kgmuse/
ポンペイの輝き:http://www.asahi.com/pompei/
レンズを通して語る地中海の神話 ミンモ・イョーディチェ写真展:
     http://www.iictokyo.esteri.it/
とりあえず今日もらってきたチラシから、自分のメモも兼ねて。
音楽会はその日都合が悪いとフォローがきかないので、
今日はチラシに手を出さず(涙
2006-05-07 [ Sun ]
(i)
釣鐘型の山に登った。
列車からあんなに迫って見えたのは、
登山口までの坂もかなり急だったせい。
勾配は急峻だったがよく整備されていて、
ただ時々汗を拭うために足を止めた。
道のすぐ両端はいかにも造園の手が入った植えこみだが、
そのもう少し先に雑木の植生が残っている。
いつどんな目に遭ったのか、
立ったままひき裂かれたなにかの広葉樹の残骸が
まだ白く雪をかむった霊峰の視界を遮る。

エーデルワイスの花冠のように谷底に叩きつけられる慎ましやかな女も
断崖から自ら身を躍らせる魔性の歌姫も
幻影たちは指先と爪先でふり払ってゆく。
番小屋があったという小さな崖の突端の岩に
膝丈ほどの若い杉の木が誇らしげに枝を張っているので
「危険 立入禁止」の札を無視して近づく。
微笑みかけてカメラにおさめる。

足もとの可憐な菫が凛然とした紫に咲いて、
笑っていなさいと語りかけてくる。

振りかえると、山並みの底に
紡錘形に白っぽく浮かぶ寂れた宿場町。
山頂から見下ろした反対側には、
川沿いや幹線道路ぞいに散らばる集落たち。

ここは中世の修験道の地、
そして戦国時代には要害の城が築かれたところ。
今は当時を偲ばせる人工物は何もなく、
新緑に包まれた岩山だけが空へ向かってせり上がっている。

別の獣道を下りる。
途中、さらに脇道を少しくねり上って権現様に参ってゆく。
洞窟の足もとや奥にかすかな音が響いているのは湧き水。
ふと、あの岩山でも、ゲルマンやスラヴの神様に会いたかったと思う。

(ii)
そちこちの鶯は、もうすっかり軽やかで誇らしげな歌いっぷり。
アウトバーンやラントシュトラーセにはさまれた、平地の集落を抜けて歩く。
大型連休を気ぜわしく楽しもうとする世間をよそに、
小さな畑をいとおしげに守る人たち。
家の前で煙草をくゆらす、まだほんとうに若い息子が呼びに走ると
勝手口からは割烹着姿の母親が顔をのぞかせる。
母屋の陰の小さな小屋から、カンカンキンキンと金属音が飛び散ってくる。
東京から山とトンネルをいくつか越えただけなのに、
人々の言葉も気質も生活も、メガロポリスとは異質のものが
ここにはごくあたり前にある。
木蓮も八重桜も躑躅も山吹も、ここではいっぺんに咲き誇っている。
果樹は枝を短く切り詰められ、幹にじかに若葉の緑をまとって立っている。
払われて農道に転がった小枝たちの中から桜を2本拾う。
打ちあわせると硬く乾いた音が、嬉しそうに歌う。

(iii)
バスに揺られて山深く入る。
何度となく走った、鉄道の南側の国道に似ているが、
ここはもっともっとうら寂れて長閑だ。
こんな好天気に、川を横切っていっせいにはためく
鯉幟の鮮やかな色彩はなく、
ひかえめな花の色ながら、あたりの雑木の樹冠から
ついと頭ひとつ際だつ桐の木もほとんどない。

ダム湖を2つ見る。
山の緑はほとんど凶暴といってよいほどいっせいに萌えだす直前の
若々しく、初々しくまばらな色むらが心を和ませてくれる。
ダム橋の上で所在なくきょろきょろ見回す一団の他は、
人も猿も気配はない。
このあたりは渓流釣りが盛んなのだが、いちばんのスポットは
ダムと発電所建設のために禁漁区になってしまったという。
あの岩山の下のダム湖一帯は保養地で、
湖にはヨットが浮かび、
近くの森には狩小屋を改造した小さな宿に
外国語の堪能な若主人が小さな蜂箱も持っていた---
ここのいちばん新しいダムのへりに、
つけたりのような「公園」と称する angeblich スペースを確保するためだけでさえ、
31家族が住みなれた家を失った。
環境保全に万全の配慮をして築かれたというこれらのダムが
ふたたび周囲の自然に溶けこんで、ほんとうの湖になるまでには
どれくらいの歳月がかかるのだろうか。
小さな山城を麓で守り、
城が焼け落ちたあとも、何百年後にも
太古と変わらぬ黒々とした水を湛えつづけた名も知らぬ湖のように。

(iv)
セメント工場は、こちら鉄道の北側にも散見される。
南側だけしか知らなかった頃から不思議だったが、
この山塊をさらに北へ辿ると、
全国的に有名なセメントの産地の山系に連なるらしい。

家臣に裏切られた戦国武将が岩山の城を捨てて自害した日も
一族を滅ぼされた姫が峠を越えて、東の城下町の寺に身を寄せた日も、
それどころか近代まで、多くの家がお蚕部屋を持って絹織物で繁栄した日も
どこかへ置いてきたかのように、山あいの集落はどこもまどろんでいる。
街道筋まで下りてきても、こんなところをわざわざ走るよそ者の車も疎らで、
ただ時々、コンビニの前に
磨きぬかれた大型バイクが停まっているだけだった。

このささやかな旅にも、A.S. を連れていった。
読むつもりではないし、今までも旅の途中でこの本をほとんど読んだことがない。
ただ自然と人間が鬩ぎあい、けっきょく人間の小さな営みが
自然に包みこまれてしまうこの一帯の風景に、A.S. はどこかふさわしい。

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2006-05

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記憶の中の言葉たち

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