journal in japan

記憶の中の詩

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2006-10-31 [ Tue ]
ほんのちょっとした鋏の加減にすぎなかったのだ
こんなカットはひどすぎると内心ショックを受けた変化を
他の人はほとんど気づいていない

でもそのほんのわずかな加減のおかげで
髪はいつもと違う可動範囲に目ざめ
ふわりふわりとあちらへ揺れたりこちらへ靡いたり
細いあごを
長い首を
滑らかな肩を包んでいる
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2006-10-18 [ Wed ]
ひらりと眼の前に舞いおりてきたもの
歩みを止める
花屋の店先
洋花たちの鮮やかな暖色にくらべて
その色はもっと渋かったけれど
なぜか強く魅きつけるものがあった

そっと一歩だけ近づく

濃い橙に黒い斑
ふしぎな羽の形をしている

それにしても・・・
花に誘われるでも何かに止まるでもなく
どうしてモザイクの歩道に
翅を広げて身を横たえているのか

あぁ
左の小翅がちぎれているのだ

息を呑んで見つめた

手を伸ばして捕らえようとするでもなく
じっと見守る視線にこめられたものに気づいたのか

蝶はかすかに両の翅をよじるように震わせ
よたよたとわずかに身を引きずったあと
ほわりと宙に舞いあがった

じきにこわれた翅はかすかな風をもとらえて
すいと鮮やかに高度を上げた
軽やかに
誇らかに

いっぺん行きかけてから振りかえったら
いつのまにか
もうどこにも蝶の姿はなかった
2006-10-18 [ Wed ]
 zwischen dem himmel und der erde

天よ、上より水を注げ、
雲は義を降らせよ。
地は開けて救を生じ、また義をも、生えさせよ。
主なるわたしはこれを創造した。

drop down, ye heavens, from above,
and let the skies pour down righteousness:
let the earth open, and let them bring forth salvation, and let righteousness spring up together;
I the LORD have created it.
(Isaiah 45:8)

***
木の葉たちが落ちる はるか彼方からのように
遠く天の高みで 庭が枯れたかのように
いやいやいやを する身ぶりで 落ちる

夜になると 重い大地も落ちる
あまねく星々から 孤独の淵へと

私たちはみな落ちる これ この手も落ちる
見てごらん みんな同じなのだ

けれどもたった一人の者がいて この落下を
かぎりなく優しく 両のたなごころに受けとめる

die blaetter fallen, fallen wie von weit,
als welkten in den himmeln ferne gaerten;
sie fallen mit verneinender gebaerde.

und in den naechten faellt die schwere erde
aus allen sternen in die einsamkeit.

wir alle fallen. diese hand da faellt.
und sieh dir and're an: es ist in allen.

und doch ist Einer, welcher dieses fallen
unendlich sanft in seinen haenden haelt.
(Rainer-Maria Rilke)
2006-10-10 [ Tue ]
たまった本の整理・処分にはまず読むことと、1冊つまみあげて開いた。
発表時、テーマと語り手で話題になった「ノン・フィクション」。
この書き手の文体はざっくりとして、それでいてさらさらしていて
よい意味で寝転んだまま読み流せるので、気がつくとたまっている。
このペーパー・バックも奥付のページに
鉛筆で約半額の値段が書いてあるので、
出先で手もちぶさたに買ってしまったものだろう。

最初の数行に眼を走らせて、これは読み終わっても
古本屋行きの段ボールに放りこめないことに気づいた。
しかも読み進めるごとに、ぜったい無理だとわかる。

女が語り、男が書く。
分析的に読んでしまうのは呆れた癖だけれど、
この語り手と書き手、視点の位置が気になると、
内容は二の次になってしまう。
『ソフィーの選択』も『朗読者』も
ビンゲンの聖ヒルデガルトも、同じ。
しかも『ソフィー』や『朗読者』では書き手が「僕」と一人称を名乗るのに、
ヒルデガルトやこの「ノン・フィクション」の「私」は女性であり、
その上あろうことか今眼の前にいる「私」は
取材をうけるのに曖昧な記憶を補おうと、
男である夫が遺した私小説を読みかえす。
(書き手は「その人」「夫のことを聞きたいという人」などと、
 三人称的に言及される)
また、この夫は執筆活動を続けるのにしばしば、妻や愛人や、
その他身近な人たちに口述筆記をさせるのだ。

あーやだやだ。
引っかかりながらすいすい読み進めたのは、
それでもこの男性ライタのおかげ。
次は何を読もうか。
(次に選ぶ本にも、また別のことで引っかかる予感・・・)
2006-10-04 [ Wed ]
お釈迦さまの園には今
曼珠沙華が細い紅い指を広げていて
見つめていると肩の上にはらはらと
金木犀の香りが降ってきます

やがて日も暮れると 地面に落ちた金色の鈴は
霧雨に濡れた草の中でりりりんと可憐な響きを奏で
もう花の色はなんにも見えない
ただ爪先が紅い色に惹かれるように
しぜんと曼珠沙華の小径を抜けていこうとするのです
2006-10-03 [ Tue ]
『人間にはどれだけの土地が必要か』のもじり。

荷物が多いの本が邪魔だのという話を最近あちこちでしているのだが、
話しただけで物や本がひとりでに出ていってくれるわけではないので、
段ボールに放りこんでおいた本を古本屋へ持っていった。
箱はまだ全然いっぱいになっていないのだけれど、
箱そのものが邪魔になってきたため(笑
2軒回り、版が古くなった辞書と単行本、新書類を売って、
なんとか軽いランチくらいの値がつく。
文庫本は拒否され、実はまだ未整理の文庫があるので
またまとめて処分しようと今回は持ち帰ってくる <損した気分(笑
帰りに3回りくらい小さい段ボールをもらい、今度から処分用はここに入れる。

ヨーロッパへ1ヶ月ほど行くのに、
いつもなら1週間~10日分くらいの支度で、あとはまめに洗濯したり
足りなくなったものは現地で買い揃えたりするのだけれど、
ある時必要そうなものはできるだけ持っていこうと思いついた。
滞在地の事情がよくわからなかったり、時間的に(お店の営業時間が短いので)
買いものをする余裕がなさそうだったりしたためだ。

心身追い詰まったときにリゾットでいいからお米が食べたくなったことはあるけれど、
梅干やカップ・ラーメンといった「定番」日本食はもともと持っていかない。
重量はずっしり嵩んだが、けっきょくいつものピギー・カートと
ショルダ(PC+1-2泊分の着替えなど)にすべておさまった。

1回めは使い切らなかったりなぜか手つかずのものもあり、荷造りの苦労が馬鹿らしくなった。
2回めはほぼ計画どおり。
資料の荷造りや発送やお金の手間を省くため、いつもより郵送荷物を減らしたり、
最後の滞在地で前から欲しかった RIMOWA の真っ赤なミニ・トランク(機内持込サイズ)が
バーゲンで安くなっていて衝動買い(ていうのか?)したのだが、
その RIMOWA も引きずって帰ることにしたわりには、中に入れるものが足りなくて困った(笑

以来ときどき実際にやってみたりイメージしてみたりするのは、
1ヶ月よそに滞在するとして
この2つのトランクに何を入れようか、ということ。
仕事のストレスがなければ1ヶ月で日本食禁断症状はおこさないので
     <日本の家では基本和食だし・笑
滞在地の国内外はほとんど関係ない。
すると、どうしてもなくてならないものはそんなに多くなくて、
ただ読みかけの本を持っていこうとかお気に入りの音楽をなどと考えだすと
収拾がつかなくなるだけなのだと、いつも同じ結論に達する。

つまりふだんは、全部が無駄とまでは言わなくても
買い置きだとかまとめ買いだとか、あったら便利みたいな発想で
膨大な量のモノに囲まれて暮らしているわけで、
ほんとは自分はもっともっとシンプルに生きられるはずなのだと
大きな段ボールがなくなった床部分を見て思った。

で。
ためしにまた1冊手にとってみた。
だめだ・・・この本はあと5年は、手放す決心がつきそうにない。
W.A. の短編集(爆
2006-10-02 [ Mon ]

J.-G.C. spielt L.J.

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