journal in japan

記憶の中の詩

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2007-07-31 [ Tue ]

あなたは
パンの要る人に石を与えてはいけない
魚の要る人に蛇を食べさせてはいけない
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2007-07-25 [ Wed ]
水たまりの詩

雨があがって
陽が差してきたら
ボクの上をだあれも歩かなくなって
ずっと空を見上げていたら
空になっちゃった
(kats_miz)

空の詩

ぼくがいっぱい泣いたら地面におっきな水たまりができて
びっくりして見てたらぼくの顔が水たまりに映って
その顔とにらめっくらしてたら
ぼくが水たまりになっちゃった
(lete)

おぅい~

水たまりくぅん、こっちへおいでよ
こっちはまだつゆが明けていなくて
君の友だちがいっぱいいるよ
友だちと一緒に手をつないで、歌をうたって
楽しくなろうよ
そしたら川を通って、海に出られる
まっしろな入道雲に手をひかれて
お空へ帰るんだよ
(schiff)
2007-07-23 [ Mon ]
070716_1029~01.jpg     koiso_sai.jpg



ワーシャの誕生日。
火曜、天国での誕生日は
スケジュール調整でぽっかり休みになった。
カサ・ブランカをまた飾ろう。

今ワーシャの居る処からほど遠からぬ(笑
樹にやっと咲いた、ピンクの百日紅。
仏さまの庭のすぐそばですが。

もう1つの絵は、『斉唱』。
K.R. にまつわる思い出は、祖父とは直接には
関係ないのだけれど、
また歌を歌ってあげたくなったので。
2007-07-22 [ Sun ]

夏のゆうべは もう 昨日に
この明るい光も 明日には
また 昨日になる

2007-07-21 [ Sat ]
昔、友人の元パートナーが1年間の予定で
日本にやって来たとき、伯父に電話した。
外国語が堪能で、外国人の相手も慣れている人なので
何かあったら力になってほしい、
だから彼女に伯父の連絡先を教えていいかと。

快諾した彼は、彼女の名前を聞いてふっと黙った。
昔同じ名前(人種も同じ)の女友達がいて
兄のようになにかと頼りにし、慕ってくれていた。
できる範囲で力になっていたのだが、
ある時どうしても仕事の都合がつかず、会わなかった。
それから間もなく彼女は死んでしまった。
そのとき会いたいという、どんな用事があったのかの事情も
なぜ死んだのかその理由もわからずじまいだったけれど、
たった1度わがままを聞いてあげなかった後悔と自責の念を
私の頼みごとで思い出したという。
それもあって、私の友人の友人にはできるかぎりのことを
してあげると。
「ただ、あの国の人たちは気はいいけれど
感覚は日本人とはかなり違うからね。
お前もお人好しになりすぎて、
振り回されないようにしなさい。
彼女だけじゃなくてね、あの人たちのことに巻きこまれると
ほんとうに大変なんだよ」

伯父の青春の感傷も、
冷たいエゴイストにみえて実は気弱で人が好いことも
よくわかっ(てい)たけれど、
彼女の名前は、その国ではありふれた名前だ(笑
ただ若くして死んだその女性の話は、
親戚じゅうの誰からも聞いたことはなかった。

知人女性は憧れの日本の現実を知り、
たいへんな失望と苦労を味わったようだが、
誰の助けを借りて苦境を乗り切ろうとするのでもなく、
彼女の決断は契約を中途破棄して帰国することだった。
強烈な第六感に衝き動かされた私が
伯父の忠告を忘れたわけではないけれど
つながらない電話を必死にかけつづけていたちょうどその頃、
彼女は一切合財をひき払って国際線に飛び乗り、
眠り慣れたベッドに倒れこんでいたらしい。
それからさらに何ヶ月もたって、伯父が
「あの話の人はどうなった。元気で頑張ってる?」と訊くので
私は「元気みたいよ---ヨーロッパでね」と答えた(笑

彼女の日本での仕事にまつわるニュースが
先日ひとしきり大きな話題になったのと、
その他あれやこれやで、久しぶりに思い出した。




... was hat man dir, du armes kindlein,
                  angetan? ("Mignon")
2007-07-21 [ Sat ]


 
 
 

2007-07-21 [ Sat ]

風は吹きすぎて
また吹ききたり
そしてまた
さらにまた・・・

wo gehen wir hin?
 --- immer nach hause.

2007-07-20 [ Fri ]
風や光や
色や香りや
形や音や・・・
いろんなものを今は吸いこんでいる時期なのでしょう。
必死に。

革靴の爪先ごしに土のしずくさえ
皮膚が深呼吸しているようで。

そんな感覚や印象たちが遠くない時
ふたたび紡がれ流れだしてくるであろうまで。
2007-07-18 [ Wed ]

山深く蔓にか暮れし花ひとつ
     濃紅の花芯いや息づきて

2007-07-13 [ Fri ]

artists_img_08_mondnacht_aivazovskj.jpg
(I.A.: Moonnight)
http://www.rusmuseum.jp/artists.html#name4

泳ぎたくなるような
しまい梅雨の、それでも晴れた午後

やはり嵐にもまれる帆船と
避難の小舟の絵につかまってしまい。

そのあとしばらく、澄んだ月夜の絵で心静めていた。
手前には帆をおろした船の甲板に、赤い灯り。
奥には帆を上げたままの船。

水面からじっと月を見上げたら
蜜色をした光が存在の奥の奥まで
ひたひたと浸してきた。



*
これだけは観たくて、最後の最後に駆けつけた美術展。

レーピンやクラムスコイの実物に触れ、あるいは
学問的には古典主義とロマン主義は(とりわけ文学)
理念上は同じ基盤に立ち、思潮に属していると理解していても
やはり感覚的にうける印象のギャップはその二者間が
いちばん大きい、
ロマン主義が生まれてしまえば、あとは
写実主義、民族主義、表現主義・・・
そしてファシズムにせよコミュニズムにせよ、
全体主義の政治理念が要求するキッチュな写実主義は
むしろ必然的な流れだったのだと再確認し、
 <今回の展示は表現主義の手前あたりまで


でもやはりどうしても観たかった、なかなか観られないものと諦めていた
アイヴァゾフスキィの前で多くの時間を過ごす。

たしか小学生くらいの頃から、好きでずっと手もとに置いていた
『第九の怒涛』のカードが、どうして家にあったのかそういえば知らない。
『第九の怒涛』もサンクトペテルブルクにあるが、
私が観られた彼の海景画は、それ以外の4点。

その中で『月夜』は静謐な海を描いたという点で異色の作品と、
今回の美術展に関する日本語の寸評では口を揃えていた。
だが最初に前に立ったときは失望した。
「異色作」というから期待したのに。
C=D・フリードリヒは好きだが、ここにC=D・Fを観にくる
つもりはなかった。

ちょうど階段の手前部分に展示されていたので、上りつ下りつ、
いろんな角度から眺めてみた。
階上の手すりに凭れて、飽きたとはいっても月夜の廃墟とは、
ともあれ大好きなおきまりの画題じゃないのと思う。


そんなたったひと言で「片づけて」しまいたくなくて、
またもう一度低い視点 frog-perspect に戻ってみた。
初めてC=D・Fの「廃墟」シリーズに邂逅ったころに。
その同じヴァイマールの、リスト・ハウスの前で廃墟
--実は廃墟を模した風景式庭園の、今風にいえば「インスタレーション」
だったのだと、あとから知った--の周りを飽かずうろつき、
珍しく記念写真まで撮らせたころに。
光さえささない嵐の海にもまれる船を
肩ごしに見ていた日々に。
そして帆船上の人、あるいは救助ボートの上で凪を迎えた人の、
水面を這うような眼の高さに。

この凪いだ海が、「第九の怒涛」が過ぎたあとの平和な海だという
解釈があるなら、
それはあまりに「第九の怒涛」の謂れに、あるいは
ベートーヴェンの『第九交響曲』の楽章構成にこじつけすぎた
図式 cliches だろう。
じっさい制作年代も、『月夜』は『第九の怒涛』(や、その他画家が
荒れた海を好んで描いた時期の作品)よりもずっと早い。
でも絵の前で膝を折って、水面から月をまっすぐに見上げると、
この海はひたすらひねもす長閑にたゆたっていたのでは決してなく、
この世の終末のような大時化 Noah's Deluge のあとに訪れた
静謐のなかに横たわっているように、やはり感じられる。
2007-07-07 [ Sat ]
しまい梅雨の、それでも晴れた午後

やはり嵐にもまれる帆船と
避難の小舟の絵につかまってしまい。

そのあとしばらく、澄んだ月夜の絵で心静めていました。
手前には帆をおろした船の甲板に、赤い灯り。
奥には帆を上げたままの船。

水面からじっと月を見上げたら
蜜色をした光が存在の奥の奥まで
ひたひたと浸してきました。
2007-07-07 [ Sat ]

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,


2007-07-03 [ Tue ]

うぐいす張りをそっと踏む革のヒール

小さな机と椅子、傘立てにぽつねんと黄色い傘

甘酸っぱい汗の残り香

2007-07-01 [ Sun ]
電話はかかってこなかったが、
かかってくるに違いないと毎年無意識に構えるほど、
もう恒例になっているこの月はじめ。
カサ・ブランカを飾って、
どうかいい声の神父さまがパニヒダ(死者の記憶)の
ミサをあげてくださるように、
どうか詠唱をはしょったりなさらないようにと
妙な念じごとをする。

ちょうどこの朔日が、マルファの記念日にあたる。

早くに逝った祖母は私が生まれる前から
古い小さな家の片隅でほの白く微笑むセピア・カラーの写真だったし
(その前の席が私の定位置だった)
ぴったり懐いていた祖父は逝ったひと夏の記憶を私から奪っただけで
今は静かな温かい影だ。
・・・ときどき古い思い出の中でおどけてみせても、くれる。

春からずっと「定点観測」を続けている
紅白のさるすべりの樹。
白はもう最初の花が足もとを染めて、
新しい蕾を次々ふくらませているけれど、
紅はしんねりと逞しく、葉芽をぐいぐい伸ばしつづけるばかり。
まるであと3週間を心穏やかに過ごしなさいといわんばかりに。

鋼の聖母がじわじわと手足を縊っていくかのような
忘れかけていた感触に抗いながら、私を
慰め守ってくれているのはやはり、このさるすべりたちなのかも知れない。

人は、花は、葉や実は朽ち落ちて土に還り
その土もまた落ちつづけて無に還る。
生きた証をとどめてくれるものは
生きている者の中の記憶だが
その記憶もまた土に、無に還っていく。

ただそうしてあまたの生を、記憶をくるみこんだ無ならば
そこへ還ることに不安や恐怖はない。
願わくば今少しこの魂を地上にとどめて
うつし世の歩みを続けさせてください、と。


日曜日の靴は黒、しかもエナメルと
子供のころはお約束。
『赤い靴』の悲劇が肌身に迫って感じられて、
いつも読みながら震えていた。
『パンを踏んだ娘』も。
なのによりによってこんな日曜、
赤いブラウスを買いに行くつもりだった罪を懺悔します。
なので今日は日々のパンを感謝しておいしくいただき、
ブラウスは明日買いに行きます。
明日はココアを我慢するので、
1点もののブラウスが売り切れていませんように・・・(切々

070625_1153~01.jpg     070716_1029~01.jpg





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