journal in japan

記憶の中の詩

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2007-09-11 [ Tue ]
(5)
この街の被災資料を見て、「爆心地 Groud Zero が公園でよかった」と
言った米国人がいるそうだ。
まさか。「破壊の瞬間 Zero Hour」直前まで、そこが建物と人のひしめく
生き生きとした生活の場だったということは、想像に難くない。
2001年9月11日の朝まで、WTC がそうであったように。
(今の WTC 跡地の映像を見て同じことを言う外国人がいたら、
 米国人はどんな反応をするだろうか?)

ただ私はトラムに乗って、おそらくまだ行ったことのないエリアへと向かう。
昔の家族旅行のときは、記念公園周辺でこの街の滞在時間を
あらかた消費し、たしか背骨の山地を縦断して、
反対側の地方へ移動してしまったのだ。

ともあれ2度めの土地のせいか、街の規模が小さめのせいか、
ゆったりした気持ちで車窓風景を眺める。
前々日/前日訪れた街々に比べて人の動きは緩やかだ。
それから、正直に言えばファッション・センスははるかに垢抜けない。

死の灰の中から復興したとはいえ、いちばん古い建造物は60年を超える
計算だし、のんびりゆったりしてはいても、今ここには再び
地方都市の暮らしの活気が、ある。

トラムは港の方へ走っていく。
川を渡ると、街並がいちだんと古びてきたのを感じる。
都心部から、どれくらい離れているのだろう?
爆心地からは?
そもそも私の机上の知識では、このへんは別の町というか、
隣町ではなかったか。
古びて鄙びてはいるけれど、エリアの中心らしき地点も、
通りすがりながらはっきりわかる。
はいはい、お勉強はしないルールの旅でした。

終点は港湾ターミナル。
売店がいくつか開いていたので、お弁当とコーヒーを買い、
眺望のきく待合室でやっと食べものにありつく。
空と海と、船と・・・

ふとこの街にもっといたくなり、
時間と暑さに背中を押されたこの旅の慌しさからのがれたくなり、
トートに入れてきた時刻表を調べる。
最終の東京行き新幹線・・・時間は微妙だ。
そして、もし明日の午前中に乗るとしたら・・・いや、
明日でも午前中でも、やっぱりここも東京も暑いだろう。

I.N. デザインの橋再訪も含め、あとの動きは成行き、
つまりはトラムの接続と所要時間に任せることにする。
西陽はずいぶん傾いていたが、外に出るとやはり潮風は
べっとりと肌にまつわりついてくる。
2,3ヶ所移動して、やっとフィルム・カメラで何枚か撮る。
ちょうど中央駅行きのトラムが来たので、乗る。

子供の頃、毎年夏になると父から手製の資料集を押しつけられて
食傷ぎみだったこの街の惨禍について、
帰ったらちょっと復習してみようかなと思う。
このエリアは、当時どういう状況だったのか。etc. etc.・・・
ヨーロッパのとある小さな街でフィールド・ワークをしていたとき、
案内役を買って出てくれたご隠居の名士が
私の空き時間をすべてこの種のお勉強にあててくださったことがあった。
その街の歴史と由緒。
なぜ第2次大戦末期に、市街の95%もが灰燼に帰するほどの大空襲の
標的になったか。
名士氏の家族と、ファシズムとの関係と相剋。etc. etc. etc.・・・
破壊されたこの街では、私自身の血縁も被害に遭ったのだ。
子供時代の記憶とフィールド・ワーク期の体験、
そして靉光展のカタログを抱え、靉光研究者と言葉をかわした
今日の出来事とが、またしても複合リンクする。

strassenbahn橋方面へ行く乗換停留所が近づいてくる。
でももう暗く、私は心にも手にも背中にも、
いっぱいすぎるほどのお土産を抱えこんだ気がしていた。
これ以上欲張るのはよそう。
他にも見たかった光景、行きたかった場所はいくらでもあるのだ。
それはまた、いつか。


2-3年前から日帰りの、
そしてやっとこうして、泊まりがけの旅行がまたできるようになった。
満足して、安心して帰ろう。

靉光の代表作は東京の、皇居にほど近い
行きつけの美術館が所蔵している。
また逢いにゆこう。メトロに乗って。

***
6年めの9.11.、
6年前と同じ、火曜日だという。
New York、Hiroshima/Nagasaki、Rotterdam、
そして Euroshima-Dresden etc. etc.・・・
すべての無辜の生命に r.i.p.
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2007-09-07 [ Fri ]
(4)
ところが、この話もログも、まだ終わらないのである。

また、展示を最初から最後までさらりと流す。
気に入ったシュールな細密画、日本画風・・・あたりで足を緩める。
ある友人の仕事スペース~居間スペースの壁に
H.B. と A. がかかっていたのを思い出す。
数ヶ月間の仮住まい(furnished)なので、もともとあった調度品を
そのまま使っていたのにすぎないのだが、
その絵を眺めているのが好きだった。
のちに1度は流れたものの数年後に旅を実現させた地で、
A. は数寄者の王に錬金術師として抱えられていたことを知る。
城の一角にそういう怪しげな科学者だか魔術師だかを住まわせた路地は
今は観光スポットのハイライトの1つ。
でも私たちは夏の夜、ひと気がない路地路地を回った。
フラッシュを消した400のフィルムに放縦に流れた
彩光は、まるで絵の具をチューブからキャンヴァスに
そのまま押し出したように。

関連小展と常設展をさらっと回る。
これはいつもと同じ。
いや、東京の美術展[館]なら常設展はそのうちいつか、で
出てきてしまうから、ちょっとだけ欲張っているだろう。

講演を聴く前も後も、靉光作品になんらかの思想性---政治性を
私は感じない。
さまざまな作風を経てもそこに一貫しているのは、あきらかに彼は
昭和・・・20世紀前半、大戦間期の芸術家であり人間だったということだが
それ以外にはむしろ普遍的な、芸術との対峙の姿勢が
ひしひしと伝わってくる。
では逆に、芸術至上主義に走ったにもかかわらず・・・あるいはそれ故に
ファシズムに利用されてしまった各国の、そしてとりもなおさず
日本浪曼派はどうだったのだろうと、ちらりと疑問が頭をかすめるが、、、
私は何も考えないために、旅に出てきたのだ。

常設作品の中では I.N. と M.E. を少しゆっくり観、
秋からのプロジェクト新フェーズに使えそうなヒントがあったので
携帯で資料撮影をし、パンフレット類をもらって
 <嗚呼また仕事が、紙が・・・・・・
街に戻ることにする。

・・・と、発車間際のトラムに乗りこんできた人物に見覚えが。
ここでは私は旅行者なのだが・・・本日3度め、靉光講演の講師である。
私のまん前に座ったので、一瞬迷ってから思いきって声をかけた。

素直に話のお礼と感想を述べた。
話が下手っぴなのに面白いから、私は朝から飲まず食わずだとは
言わなかった。
トラムのがたごとに声がかき消されてしまい、
講師が長身を折って聞き入らなければならなかったのは、
空腹のあまりもう声が出なかったせいなのだけれど。
彼のこういう仕事が活字発表されているか、
とくに今日の講演内容の発表予定についていちばん訊きたかったのだが、
彼はうっと唸ってあれこれの言葉を不器用に並べた。
口下手なのは聴衆の前に立ったときとか、「靉光というテーマは
自分にとっては重たいものなので」というだけではなさそうだ。
乗換停留所まで2つ、5分たらず。
演者に講演後の会場で話しかけるとかレセプションで一瞬捕獲するとか
 <後者のほうが競争率高し
このへんの敷居は、その気にさえなればたいして高くない。
でも帰りに公共交通機関の中で接近遭遇するとは、
東京ではまず期待してかなわないものだ。

ちょうどやって来た乗換路線に腰をおろしてからカタログを開いたら、
参考文献リストに講師の業績もたんと載っていた。
寡聞にして無知、重ねてご容赦を。
これはまた近いうちに、大学図書館に沈没せねば。
ただやはり、大きくいえば「靉光再評価」に関わる今日の講演内容は
まだ活字発表されていないようだ。
彼はとある県庁所在地の美術館勤務。
今日のお礼とお詫びと、そしてもう少し私自身の(興味の)background を
はっきりさせるなら、そういえば美術館気付でメールを出せばいいのだと
思いついた。

***
9月7日深夜。帰京後3週間経過。
・・・講師にメール、まだしてません。
美術館のサイトさえ検索していません。
ときに帰ったばかりの週明け、気がついたこと。
ワタリウムで靉光生誕100年展@東京終了の瞬間を迎えたときの
メモを発見。
「(…)巡回スケジュール:仙台~広島(…)」などとai-mitz
付箋にメモし、雑記用の rhodia に貼っておいたのだ。
講演のメモも、この rhodia に書いた。
それがなぜ&いつ「富山~神戸」に脳内変換されたか、大きな謎。
自分が馬鹿らしく悔しかったので、
講演メモのページにその付箋を貼り、カタログと一緒に撮影。
このヨーロッパの銅版画のような、でも実は
毛筆で緻密に描きこんだ一種の自画像が、
私にとっては日本近代の H.B. あるいは A.。
2007-09-05 [ Wed ]
(3)
そろそろ昼食をとりに下りようかというところで、
講演会のアナウンス。
そうだった。
こういうのは当たりはずれがあるので、
はずれの場合こっそり抜け出せるように、ドア近くの席を確保。

講師の顔を見て吹きだしそうになる。
さっきチケットを買ったとき、
隣に立ってカウンタに大きな鞄を置いた男性だ。
独特の匂いがするのは感じていたが、そういうことだったか。

話が始まって、またひそかに独り笑い。
洒落者で神経質そうな(そういう面もあるのだろうが)外見とは
ギャップのある、訥々とやや拙い話し方。
はっきり言って、話は下手だと思う。
講演の趣旨は「抵抗の画家」「戦争被害者の画家」といった
ステロタイプな靉光のイメージを覆したいというので、
正直主催の新聞社のコラムを読んで
あまりに素朴で安直な決めつけに、作品をよく知らないながら
違和感を抱いていた私は、ペンを握りしめて話に聞き入った。

・・・なのに、進まないのである。
1つ1つのエピソードは興味深く、自分の足で歩いて
資料を掘り起こし、関係者の話を聞いてまわった
フィールドワーカーの好奇心と苦労に共感する。
でも、本題は?
時計を見てはいないけれど、今そのエピソードを話していて
あなたの講演原稿、あるいはタイム・テーブルでは
ちゃんと時間内に話がおさまる予定ですか?(岡目八目

画家自筆の皇室典範だか教育勅語の墨書の画像が出てきて、
講師が何度もそれを出したり引っこめたりするので、
どやしつけたくなる。
床に自筆稿を置いて水平に撮影した画像に、
講師本人のものとおぼしき靴先が写っている。
ぃゃ、画像の下1/3くらいが靴である。
きっとここで、笑いをとるつもりなのだろう。
とびきりエッジの効いた講演の資料映像(動画)の冒頭に
ディズニー映画の一部を1-2分ほど挿入し、
「すみません、娘のヴィデオに重ね撮りを・・・」と
とぼけたガイコクゴでうそぶいてみせたのはある知人、
同窓の先輩の夫君。
その手はもう、古いんです。
今日の聴衆も緊張/謹聴しているのか呆れているのか、誰も笑わない。
それより「抵抗の画家」「反戦平和運動のシンボル」etc. etc. の
実証主義的反証は?(マダァ~~~

空腹と押してくる時間に急かされた私が荷物をまとめようとするたびに、
計ったように講師は論証やテーゼを小出しにしてくる。
これはさすがに意図的でない証拠に、残り時間を気にして
話をはしょろうとはしているし、
だのに面白いエピソードがあると、つい喋らずにいられないのだろう。
気持ちはよくわかるのだけど・・・

どうにか結論めいたものを講師が口にしたところで、
拍手もせずに講堂脱出。

ところが、この話もログも、まだ終わらないのである。

==
前衛アーティスト随行日記(連載中)を読みながら、
あぁあの頃はまだ夏だったのよねぇ、と思う。
汗だくの旅行だったというか、私が彼らに瞬間遭遇した時も、
通りがかりのコンビニで買ったミネラル・ウォーター2Lを
抱えていたのだ(笑 <詰替え補充用
台風接近中で明日は蒸し暑くなるとか、夏と秋とのはざまで
ul 作業もまだ終わらない・・・
2007-09-02 [ Sun ]
(1)
東京発・下り超特急に揺られながら、
今日はいつもと違う顔をしていると思った。
眉と唇をほんのちょっといじるだけ。
いつもと違うことをした覚えはない。

洗面所の鏡の前で髪をおろして、わかった。
祖父・周介の顔。
大叔母・伊都子の顔。
二人の故郷は、ここから遠くない。
不思議なことだけれど私は
自分が生まれ育った東京にいるときとは
別の顔をしていたのだ。

(2)
慣れた手順で、1日乗車券を買ってトラムに乗る。
昼前から、陽はじりじりと照りつけていた。
まっすぐ美術館へ。
特別展紹介ヴィデオをぼんやり眺めながら
しばらく額と足を冷やして、展示室に上る。

去年から今年にかけて、東京で何度か
逃がしたと思いこんだり、ほんとうに逃がしたり。
靉光に初めて出逢ってから何年にもなるのに、
実は予備知識はほとんどなかった。
「ブーム」かどうかは知らないがたしかに最近
メディアでとりあげられることが増え、
ともあれ短い創作期間の間にさまざまな作風を
試行錯誤のうちに経、
出征前に自分で処分したり
故郷の街が大戦末期に壊滅的被害をうけたりしたために
残っている作品がごくわずかしかないことだけは
わかってやって来た。
実際に観て強い印象をうけた代表作だけでなく、
もっと大きな創作活動全体のなかで彼を見たかった。

とはいっても、数少ない作品のひとつひとつが
足を留め、胸に落ちてくる。
その感覚を、印象を
今はまだ言葉にしたくない。できない。
画家のように、キャンヴァスに絵の具を何層にも塗り
それを削り、また塗り重ね・・・
そうしてゆっくり時間と得心をかけて
言葉を浮かびあがらせていきたい、
そのプロセスを味わいたいと思った。

お盆休みのせいか一般的認知度はけっして高くないせいか、
郷土の画家の生誕記念展というのに、
会場はがらがらだ。
休憩室のソファに座ったり、気に入った絵の前にしゃがんでみたり
自由にゆきつ戻りつ、
ぜいたくな時間を過ごす。
2007-09-01 [ Sat ]

白と

臙脂、あるいは
紫。
陽の光はかすかな飴色をおびた白。

夏の色。

蝉の音は冥界の声。
招くように、嘯くように。
(文月から葉月へ)

涸れ濠に夏草そよぐ古城にをり
(葉月一六日)

寝待月高く懸かれるあわひどき
(葉月晦日)

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