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記憶の中の詩

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2006-05-07 [ Sun ]
(i)
釣鐘型の山に登った。
列車からあんなに迫って見えたのは、
登山口までの坂もかなり急だったせい。
勾配は急峻だったがよく整備されていて、
ただ時々汗を拭うために足を止めた。
道のすぐ両端はいかにも造園の手が入った植えこみだが、
そのもう少し先に雑木の植生が残っている。
いつどんな目に遭ったのか、
立ったままひき裂かれたなにかの広葉樹の残骸が
まだ白く雪をかむった霊峰の視界を遮る。

エーデルワイスの花冠のように谷底に叩きつけられる慎ましやかな女も
断崖から自ら身を躍らせる魔性の歌姫も
幻影たちは指先と爪先でふり払ってゆく。
番小屋があったという小さな崖の突端の岩に
膝丈ほどの若い杉の木が誇らしげに枝を張っているので
「危険 立入禁止」の札を無視して近づく。
微笑みかけてカメラにおさめる。

足もとの可憐な菫が凛然とした紫に咲いて、
笑っていなさいと語りかけてくる。

振りかえると、山並みの底に
紡錘形に白っぽく浮かぶ寂れた宿場町。
山頂から見下ろした反対側には、
川沿いや幹線道路ぞいに散らばる集落たち。

ここは中世の修験道の地、
そして戦国時代には要害の城が築かれたところ。
今は当時を偲ばせる人工物は何もなく、
新緑に包まれた岩山だけが空へ向かってせり上がっている。

別の獣道を下りる。
途中、さらに脇道を少しくねり上って権現様に参ってゆく。
洞窟の足もとや奥にかすかな音が響いているのは湧き水。
ふと、あの岩山でも、ゲルマンやスラヴの神様に会いたかったと思う。

(ii)
そちこちの鶯は、もうすっかり軽やかで誇らしげな歌いっぷり。
アウトバーンやラントシュトラーセにはさまれた、平地の集落を抜けて歩く。
大型連休を気ぜわしく楽しもうとする世間をよそに、
小さな畑をいとおしげに守る人たち。
家の前で煙草をくゆらす、まだほんとうに若い息子が呼びに走ると
勝手口からは割烹着姿の母親が顔をのぞかせる。
母屋の陰の小さな小屋から、カンカンキンキンと金属音が飛び散ってくる。
東京から山とトンネルをいくつか越えただけなのに、
人々の言葉も気質も生活も、メガロポリスとは異質のものが
ここにはごくあたり前にある。
木蓮も八重桜も躑躅も山吹も、ここではいっぺんに咲き誇っている。
果樹は枝を短く切り詰められ、幹にじかに若葉の緑をまとって立っている。
払われて農道に転がった小枝たちの中から桜を2本拾う。
打ちあわせると硬く乾いた音が、嬉しそうに歌う。

(iii)
バスに揺られて山深く入る。
何度となく走った、鉄道の南側の国道に似ているが、
ここはもっともっとうら寂れて長閑だ。
こんな好天気に、川を横切っていっせいにはためく
鯉幟の鮮やかな色彩はなく、
ひかえめな花の色ながら、あたりの雑木の樹冠から
ついと頭ひとつ際だつ桐の木もほとんどない。

ダム湖を2つ見る。
山の緑はほとんど凶暴といってよいほどいっせいに萌えだす直前の
若々しく、初々しくまばらな色むらが心を和ませてくれる。
ダム橋の上で所在なくきょろきょろ見回す一団の他は、
人も猿も気配はない。
このあたりは渓流釣りが盛んなのだが、いちばんのスポットは
ダムと発電所建設のために禁漁区になってしまったという。
あの岩山の下のダム湖一帯は保養地で、
湖にはヨットが浮かび、
近くの森には狩小屋を改造した小さな宿に
外国語の堪能な若主人が小さな蜂箱も持っていた---
ここのいちばん新しいダムのへりに、
つけたりのような「公園」と称する angeblich スペースを確保するためだけでさえ、
31家族が住みなれた家を失った。
環境保全に万全の配慮をして築かれたというこれらのダムが
ふたたび周囲の自然に溶けこんで、ほんとうの湖になるまでには
どれくらいの歳月がかかるのだろうか。
小さな山城を麓で守り、
城が焼け落ちたあとも、何百年後にも
太古と変わらぬ黒々とした水を湛えつづけた名も知らぬ湖のように。

(iv)
セメント工場は、こちら鉄道の北側にも散見される。
南側だけしか知らなかった頃から不思議だったが、
この山塊をさらに北へ辿ると、
全国的に有名なセメントの産地の山系に連なるらしい。

家臣に裏切られた戦国武将が岩山の城を捨てて自害した日も
一族を滅ぼされた姫が峠を越えて、東の城下町の寺に身を寄せた日も、
それどころか近代まで、多くの家がお蚕部屋を持って絹織物で繁栄した日も
どこかへ置いてきたかのように、山あいの集落はどこもまどろんでいる。
街道筋まで下りてきても、こんなところをわざわざ走るよそ者の車も疎らで、
ただ時々、コンビニの前に
磨きぬかれた大型バイクが停まっているだけだった。

このささやかな旅にも、A.S. を連れていった。
読むつもりではないし、今までも旅の途中でこの本をほとんど読んだことがない。
ただ自然と人間が鬩ぎあい、けっきょく人間の小さな営みが
自然に包みこまれてしまうこの一帯の風景に、A.S. はどこかふさわしい。
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