journal in japan

記憶の中の詩

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2006-05-13 [ Sat ]
一般には「母国語」と訳されるが、
neutral かつある意味 political correctly には
「母語」という。
人種と国籍、そして居住地域の主要言語が必ずしも一致しない場合
(身近な例では在日2世以降の中国人や韓国・朝鮮人)
「母『国』語」という表現は政治的公正さ以前に
現実に即しているとはいえない。

一般に「母語」の定義・入門編はこんなところ。
ただし、アイルランド人のノーベル賞作家のことを調べながら、
それだけでは話が先に進まないような気がしていた。

通訳コースで講師が「ボゴ」と言ったら、
新しく入った仲間の1人が同じテーブルの私たちに訊きかえした。
先生はすぐに気づいて、上記説明をかいつまんでする。
「ただし『母語』とは何かというのも、なかなか厄介な問題で・・・」
それ。センセイ、そこなんですそこ。

先生がすかさず開いたのは自分の論文の抜刷。
そこから、トップ通訳の登録言語とランクを記述した部分を
いくつか紹介。
 A言語:母語あるいは母語と同等に完璧にマスターした言語
     active(この言語から他の言語、他の言語からこの言語への通訳が可能)
 B言語:Aほどではないがそれに準ずるレヴェルにマスターした言語
     active
 C言語:passive(この言語からAまたはB言語への通訳が可能)

しかし先生が言いたかったのは、「完璧にマスター」とはどのレヴェルかということ。
文字どおり「お母さんから習った」というだけでは、とうてい職業として
言葉の使い手にはなれない。
その意味で定義するとすれば、「家庭および学校教育をうけた言語
mutter- und bildungssprache」とでも言うべきではないか、との議論もあるという。
「いえ、就学を待ってからでは遅いんです」とツッコミたかったが、
これ以上脱線させるのは遠慮して黙っていた。
授業の後半では、某大統領隣国訪問の際の、大統領主催晩餐会のスピーチを
やるんです。
現場ではあるいは、通訳など必要なかったかも知れないのだが(笑

ちなみにC言語とはいっても、普通の「一応できます」レヴェルとは雲泥の差。
登録していない言語でも、現地に旅行・滞在したり、人との会話や読み書きは
流暢にできるのは当然。
一度ゲストで来たことのあるトップ通訳であり、通訳科教授(ユダヤ系フランス人)は
登録言語(ヨーロッパ言語)の他に、インドネシア語や中国語の心得もあるという
     <この話は本人も触れていた

帰り、ちょっと洒落たカフェ風に改装されたファストフード店へ。
いっそうきれいになったのはいいが、ヨーロッパのカフェのような
いわゆる高級紙やちょっとハイブラウな雑誌の閲覧ラックがなくなっていてショック。
で(って、をい)いただいた抜刷を出して、油のかたまり(笑)が運ばれてくる前にと
読みはじめる。
いきなりノック・アウトされました。
センセ、これ大学の紀要に発表した論文ですか?
この導入、詩的すぎます(笑

通訳者は必ずしも翻訳者とは限らない(実際は兼ねている例も多いが)ので、
少なくとも通訳の場では、書き言葉としての言語能力は要求されない。
これは以前、先生と私とで意見が一致したところ(エヘン <馬鹿
デモンストレーションで、先生の簡潔でいて緻密、しかも耳から聞いて
すんなり理解できる通訳アウトプットの美しさにはいつもため息をついていたのだが・・・
センセ、まだ裏、もとい奥があったんですね(笑

しかし一転、本論に入ると、通訳デモのときに通じる文体に切り換わる。
「トップ通訳の登録言語」うんぬんのくだりは読み流す。
昨学期の終わり、ジュネーヴ大学の通訳科教授が「通訳の守秘義務について」
と題する学生向け講演で、主に2大戦期~冷戦時代~冷戦終結以降の
とりわけいわゆる東欧をはじめとする(旧)共産主義国の通訳たちの例を挙げた
部分のテープを聞かされたとき、私たちはシャドゥイングもメモとりも
しばしば忘れて、スパイ小説ばりのエピソードに聞き入ってしまったもの(笑
戦争がらみではないが、やはり守秘義務や、マイノリティの人権をめぐる
駆引きや丁々発止に話が及ぶと、いけません、ドキドキしてきました(笑
抑制のきいた穏やかな文体で実はかなりのことを書いているのは、
ふだんの話し言葉の操り方と同じだ。

ここで油とソースのかたまりが到着。
汚したくなかったのもあるし、抜刷に折り目をつけたくなかったので、鞄にしまった。
たしかこの先生、日本の大学時代の研究テーマは言語哲学、
最近でもその分野の業績はあるらしいのをウェブ・サイトで見た。

ところでその日の授業、最初は日本語のシャドゥイングから始まった。
「やってみなはれ」・・・ぇ゜、プロXですか(笑
そうではなくて、まず聞き手は鈴木健二アナだし、
佐治敬三のインタヴューに映像やナレーションをつけたものの音声部分らしい。
松下幸之助の時もそうだったけれど、こういう一流の企業家はんゆうのは
話が上手でいらはるんですわ。
しかも佐治はんも松下はんも関西弁喋らはるしな、
本番ではようせんけど練習やさかい全員1人で聞き手と話し手の両方せなあかん。
今ぁどっちがしゃべっとんのかちゃんと区別せなあかんから、
江戸っ子のあたしもな、鈴木はんのコテコテえぬえちけい風共通語と
佐治はんの関西弁と、下手でもしゃべり分けるんですわ。
まぁそらまぁなんとかこなすとしてもですな。
問題は通訳のときなんですわ。
ばいりっしゅでなきゃゆうこたあらんけど、
生き生きとした言葉に訳すのがこら難儀でしてなぁ。
みんな面白がって、いっくらふだんどおりにちゃんと通訳できても
きれいすぎておもろない言い方だとばんばんダメ出ししくさる。
センセもわろて見てはんのや。声出して笑いはるんやわ。
(なんちゃって関西弁ギヴ・アップ・爆)

先生は神戸出身。
共通語を話しても柔らかい抑揚やアクセントは、
家庭では共通語を厳しく躾けられた、やはり神戸っ子の亡き恩師を思い出させる。
ただ関西弁を話しはじめると、急に眼が輝いて、表情が生き生きしてくるのが
面白い。
これが先生の「母語」なのだ。
(関西人の仲間の1人に言わせると「先生の関西弁はきれいすぎる」、
男性より女性の関西弁に近いそうだ・・・ダッテソレガ、母語?・笑)
通訳の現場で話者の特定の訛が強かったりして、これは日本語も共通語にしては
話が生き生きしない、というような時、
「そのときは僕の関西弁の出番なんです」と眼をくりくりさせて言った。
教室じゅうが沸いた。

(april 2006)
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