journal in japan

記憶の中の詩

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1998-03-31 [ Tue ]
4時過ぎにむっくり起き上がった。枕の下に入れておいた目覚し時計を止めて、ベッドサイド・テーブルに置く。
さすがに建てつけの狂ってきたドアから灯りが漏れないように、Zライトだけを窓際に向けてつける。そしてこれも、暗闇の中を手探りで台所からとってきたミネラル・ウォーターをひと口飲んだ。
幸い、壁を隔てて眠っているオットーは、起きた様子がなかった。いや、不幸だったかも、知れない。
拷問のような一夜だった。おとといの夜遅く東京の自宅に電話したら、緊急の事務連絡が入っているという。直感が働いたのかも知れない。時差は8時間。日本のオフィス・アワーが始まるのを待ちかねて電話を入れ、用件を確認する。それから、帰国後の対応をいくつかのケースに分類して、シミュレーションする。朝8時すぎに、約束どおりオットーにモーニング・コールをかけ、R... および B... 地方の天気を報せる。雪は降っていないしアウト・バーンも平常だと言うと安心して、どうやらまたベットにもぐりこみそうな欠伸をして電話を切った。それから私は最後の“黄色いゆうパック”を、近所の郵便局から発送した。近所とはいっても、自転車なしで歩くと、手ぶらでも20分以上かかってしまう。荷物が重かったので往きだけタクシーを呼び,帰りは歩いた。商店街で何か買ったような気がするが、まったく記憶にない。帰ってから家じゅう掃除機をかけ,籐椅子に埋もれて、エスプレッソを喫みながら眠った。ジリリと、目覚ましではないベルが鋭く響いたので、寝ぼけたまま飛び起きておろおろ駆け回ったら、オットーが玄関に立っていた。
帰国前の夜は、ぐっすり眠れるはずだった。たっぷり眠って英気をとり戻して、トウキョウの殺人的生活へ飛びこんでゆく、はず、だった。それが誤算に終わった原因は、主に3つ。
まず、日帰りだと思いこんでいたオットーが、そのつもりでシュラーフを持ってきたからと、ハフナーシュタイクの家に泊まっていったこと。
彼自身は不愉快な同居人ではないが、たまにすさまじい鼾をかく癖があった。これが、2つめ。この癖は心身のコンディションに大きく左右されるらしく、去年の夏2晩泊まった時には、隣の部屋からは何の物音もしなかった。ブルノでの2週間は夜な夜な地獄だったから、私のすぐ隣に寝ていたティーナが彼の癖を知らないのは、よほど眠りが深いのだろうが、この早春のハフナーシュタイクの夜を迎えるまで、私も鼾のことをきれいさっぱり忘れていた。なのに---嗚呼。
それから、居間のカウチをオットーに明け渡して引っ越したティーナの書斎兼寝室が、砂漠のように乾ききっていたこと。こんなことは、今までに一度もなかった。窓枠にきれいな石やサボテンが並べてあるのが、悪い冗談のようだった。集中暖房は、オットーが寝る前に居間のスイッチを切ったようなので、そのせいでもない。眼がしばしばして,全身皮膚呼吸できなくなる状態というと、かなりカラカラである。台所からひいてきたミネラル・ウォーターは、あっという間に減ってゆく。ティーナはこんなところで、毎晩寝ているのか。
それでなくても寝不足と,帰国早々片づける用事のことで神経が尖りきっていたので、鼾と異常乾燥は、代わりばんこに私の浅い眠りを破った。早く朝になってくれと、ベットの上で輾転反側した。
オットーには5時起きだと言っておいたが、4時に起き出して、手紙を何通か書いた。手だけが機械的に辞書を繰って、再帰動詞や格支配をチェックしている。オットーにも書いた。5時15分には起きて、私を中央駅まで送るんだと頑張っているが、あの調子では心配だ。この2-3週間、彼がどんな生活をしていたかは知っている。おまけに、風邪ぎみで微熱があった。連絡事項を箇条書きでメモした。もし万が一ぶじに起きられても、あれこれ口頭で指示する手間が省けるというもの。
5時に約束どおり、目覚ましを鳴らした。ドアを薄く開け、こちら側で15回を数えた。「目を覚ますためだけに作られた!」ドイツ・ヴェーレ社謹製の懐中目覚まし、これでも充分うるさいはずだが、あんのじょう寝返りひとつ、うつ気配がない。それで足音を忍ばせて台所へ行き,ドアを開けたままコーヒーの支度をする。灯りはつけていないので、手探りのまま。水や食器の音をたてないように台所仕事をするのは、かなりの高等技術だ。ホルン・ケトルの口金もはずしたが、しだいに明けていく朝の光とコーヒーの香りが、居間に流れているはずだ。「起きてみせる」と何度も誓った5時15分は、何ごともなく過ぎた。頭の中では一人で出発するラップ・タイムを計算していたが、目覚まし用に、コーヒーに氷砂糖の小さなかけらを滑りこませた時、背後で「モルゲン!」という声がした。20分。
荷物と人間を車に積みこんだ時、外はまだ真っ暗だった。エンジンがゴロゴロ鳴る。
「ちょっとこの車も、エスプレッソが必要じゃないのぉ」オキローと、ダッシュ・ボードを掌でポンポン叩く。
ジンメルン通りの向こうに見える地平線が、微かに明るくなっている。しかしまだ、藍色の光だ。そこに広葉樹の巨木が、みごとなシルエットを映している。
私の好きな、R... のワン・ショットだ。前回は夏だったが、5時前に中央駅から出る直通リムジンに乗るので、やはり夜明け前にハフナーシュタイクを出た。タクシーの運転手は学生アルバイト風の若い女性で、今オットーが信号待ちをしている同じ交差点で、寝ぼけ眼の私に明るい声で語りかけた---「ちょうど夜が明けるわね・・・ほら見て、飛行機雲!」
「なんてきれいなの!」オットーが牛のような大欠伸をして、グスグス鼻をかむ。「・・・オットー、袋にパンが2つ入ってるわ」--「おー」--「それから、チーズとソーセージは冷蔵庫」--「ありがとう」--「それから確か、紅茶が冷蔵庫の上にある。中じゃなくて、上だからね。それから・・・」--「ありがとう。それ以上、僕は欲張らないよ」
IR列車は、定刻6時03分に出発した。
6時半頃、ノイファーンあたりで夜が明けはじめた。何度も通ったルートだけれど、こんな時間は初めてだ。緩やかな起伏のそこここに並木道が散らばっている。地平線の向こうには、針葉樹林の森。何の変哲もない、中部 B... の光景。でもだからこそ、しみじみと別れを惜しむ。
M... よりほんの少し手前のフライジングで降り,リムジンに乗り換える。荷物も自分の身体ももて余した私がよろけるたびに、周りの乗客が笑う。言葉の響きからして、B... 人ばかりだ。こんな朝から他人のことを笑えるなんてやはりこの国の、というか B... 人は朝型なのか根っから呑気なのかと、殺伐としたトウキョウの通勤・通学ラッシュの光景を思い出す。
「ホイ嬢ちゃん、これに掴まんな」
眼の前でグラヴのような手が、手すりを譲ってくれた。「嬢ちゃん」でも「婆さん」でも、何とでも云ってくれろ。「どうも~」我ながら情けない声で礼を言って、まだ掌の温もりが残っている手すりに、ぐったりとしがみついた。
チェック・イン開始までは、1時間ほどあった。リムジンも列車も、 R... からだと決して時間的に接続はよくないから、ほんとうは車で送ってもらうのがいちばん便利だ。オットーも最初はそのつもりでいたのだが、今回はいろいろ、悪い条件が重なりすぎた。
フランツ=ヨーゼフ・シュトラウス新空港は、B... の“伝説的”保守政治家シュトラウスに因んで名づけられた。R... 直通リムジンは、スーパーや信用金庫の原色の看板さえなければ19世紀からおき去られたかと思うような、鄙びた村々を抜けていく。窓を閉めていても、どこからか肥料と土と草、季節によっては干し草の香りが車内に沁みこんでくる。空港の周辺もそんな感じで、ホップ畑が広がっていそうななだらかな野っ原のアウト・バーンをごとごと走っていると、やがて格納庫や整備場の無国籍で無機質な建物や,Mの字を白く染め抜いたB・ブルーの幟の列が見えてくる。
開港してまだ数年。規模が小さくて、荷物を引きずりながらでも動き回るのに便利なのと,さすが B...、清潔で安全なのが、最大のメリットだろうか。場内や店の雰囲気も、それなりに現代的である。ただ、免税店もカフェも数が極端に少なく、こま切れの時間を潰すのに、困ることがある。ソファやベンチも足りない。尤もこんなに朝早くては、どこの空港でも免税店はまだ開業前かも知れないが。煙のこないベンチをどうにか確保してぼんやり座っていると、スーツ・ケースに凭れたまま眠りに引きずりこまれそうだ。
早起きのセルフ・サーヴィス・カフェでミネラル・ウォーターとエスプレッソを買い、昨夜の仇のように水分を補給する。それからファイロファクスを開いて、しばらくつけ忘れていた旅行記録を、キー・ワードだけ書きなぐる。
やっとチェック・インをすませると、またまた暇である。本を読んだり景色を眺めたり,はたまた人間観察したり、暇をつぶすのが得意すぎて、貴重な時間まで勢いあまってつぶしてしまうこともある性質〈ドジ〉なのに、ここまで憔悴していると、それもままならない。ゴロワーズを燻らせながら、可笑しいのか可笑しくないのかよくわからないジョークを呟きつづけるオットーがいてくれたら、こんな時間は笑っているうちに気づかず過ぎてしまうのに、と思った。
そうだ!さっきからなぜ彼のことが気にかかっていたのか、言い忘れたことをようやく思い出した。彼が今日の午後出発する前に鉢植えに水をやってほしいことと,バターをひとかたまり、フリーザから冷蔵室へ移しておいてほしいこと。そうすれば、数日後に帰ってくるティーナは、すぐにバターを使える。慌てて10分おきに電話したが、誰も出ない。8時半。9時に大学図書館が開くから、そろそろ出かけてしまったかも知れない。あるいは、死んだように眠っているのか。独身女性の留守宅に恋人でも夫でもない男性が住んでいるのを憚って、電話には出ないことにしているとも、考えられる。どちらでもいい。昨夏の「また気をつけて来てね~」「気をつけて来る~」というアンナとのやりとりを思うと、空港からの最後の電話がバターの話では、いくら何でも悲しすぎる。
「アリガト、オヤスミ~」
呼出音が鳴りつづけている送受話器に日本語で言って、フックを下ろした。
身体検査で、カメラが引っかかった。シャッタを押してみせろという。往きにはなかったことだ。この2-3日新聞を読んでいなかったので、旧ユーゴ情勢が気になる。シャッタを押すなら写真を撮ってもいいというので、すばやくチャンスを狙った。折よく、向こうから出国管理官が2人歩いてくる。屈強そうで無愛想な、制服姿をパチリ。ピントも構図もメチャクチャだが、ついつい、職業意識。振り返って
"Nix passiert, gell?"(ホラ、何も起きないでしょ)と言ったら、担当の女性管理官は憮然として、アッチ行ケという素振りをした。
マイレージがたまったので、チューリヒ~成田間は、ビジネス・クラスに乗れた。「空の旅を快適にする」いろんな工夫はこらしてあるが、シートが広いことと,窓が2つ半もあることの他は、ほとんど興味を惹かれない。スナンジナヴィア半島の海岸線,ヨーロッパ・ロシアの大地・・・膝の上に積み上げた FAZ 紙も NZ 紙も毎日も放り出して、ひたすら窓に貼りつく。
考えてみたらこの数日どころか、ドイツへ出発する前の自転車操業状態のおかげでこの数週間、まともに眠っていない。そのせいか、今までになかった奇妙な浮遊感がある。ボックス・シート型の列車に、進行方向に背中を向けて乗っている感覚。そう、飛行機は地球の自転と反対方向に飛んでいるのだ。前向きと後ろ向き、逆方向のヴェクトル力をいっぺんにかけられて、頭も体も真空状態でフワフワ漂っているようだ。自分の足で踏みしめるわけにいかなくても、せめてこの眼で大地を見たくて、窓ガラスに額を押しつける。シベリアのタイガが広がっている。
途中、もちろん“就寝時間”でブラインドを下ろさせられたが、日本時間で5時過ぎ、こっそりブラインドを上げたら、夜が明けはじめている。ハバロフスク付近、現地時間も5時07分。隣の韓国人も起きていて、窓の外をチラチラ眺めている。
進行方向に、明けの明星が輝いている。カメラを構えたが、うまく入らない。と、真正面に流れ星。しかし、ほとんど尾をひかずに消えた。漆黒の大地と空の間が、最初は赫く,それから橙,黄・・・と移ってゆく。シャッター音を気にしながら、1枚。反対側のブラインドもいくつか開けられているようだが、南側の空はまだ暗い。とはいえ、窓の外は濃い青紫で、夜明けが近いことを思わせる。
しばらく飛んでいたら、またとんでもないものを見た。ノボシヴィルスクあたりだろうか。窓に向かって左手、つまり翼後方では、まださっきの夜明け風景が続いている。しかし右手進行方向の空は、もう朝である。6時近い。東と西の境界線、朝と夜明けのグラデーションが縦にたゆたう空を、カメラにおさめた。
旅がロマンティックに終わってよかった。帰宅して、出発間際のボイラー,食料談義につき合わせてしまったオットーに、半日の間に2度も見た夜明けの話をメールする。出発前日の午後は穀物街道をドライヴし、夕陽を追うように飛行機雲をひいて N... へ向かうジャンボ機の群れについて帰ってきたので、より正確には、1日の間に夕暮れを1度と,夜明けを2度見たのだ。アンナ&フランク夫妻には週末にファクス,ブルノでどうしてもつかまらないティーナは、週が明けてから何とかして R... に電話をかける。彼女にももちろん、夕焼けと朝焼けの話をする。いい写真ができたら、送る。オーバープファルツの「ネポムクさんたち」は、必ず。いつまでも若くないからこそ、私たちには夢が必要なのだ。

Maerz 1998
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