journal in japan

記憶の中の詩

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2000-03-31 [ Fri ]
空港からのリムジン・バスに乗っていると、ふと低い空に丸く白いものが浮かぶ。
満月だろうか---いや、この間東京で見たばかりだ。いくら8時間の時差があるといっても、ヨーロッパでさっそくまた、満月を見るはずがない--あとで調べたら、その日は新月だった--。それにもう、夜の9時近いのだ。
注意して眼を凝らすと、窓の外が真っ黒い針葉樹林に覆われたのに、それはまだぽかぽかと漂っている。反対側の窓には、それらしきものがなかったが、どこかの街灯があちこち反射して、私の頭の上のガラスに、影を映しているらしい。
あんのじょう、右折すると、そこにはまん丸い街灯が、等間隔に並んでいた。
ネットで見つけて予約したホテルが---正確にはその通りがすぐに見つからず、壊れたトランクを持って、中央駅の周辺をさんざうろついた。
カーニヴァルが最高潮を迎える、「薔薇の月曜日」の夜である。街に人はわんさと出歩き、この国では初めて見る、女装男性までいるのに、誰もその通りを知らない。「自分もここの者じゃ、ないんでね」というセリフを、何度聞いたことか。
駅のキオスクで、トルコ人の若い店員が地図まで見て教えてくれた通りは、まったく違っていた。彼に限らず、確信をもって教えられた道順は、みな間違いだったのだ。絶望的になるが、タクシーに乗ろうにも、「中央駅から500m」などという至近距離、行ってもらえるかもわからない。
「すみませんが・・・」
駅から暗い横断歩道を渡ろうとする男性に、声をかけた。通りの名前をいうと、やはり知らないという。
「でもここはブレーメン広場、あなたが探してるのはブレーメン通、ぜったいこの近くのはずだよね」--「そうなんですけど・・・」--「いったいそこに、何の用なの?」
温和そうな顔だちは、あまり若くない。恐らく私より、5つくらい齢上なのだろうが、夜目でもあり、相手には私が子供に見えたろう。いくら北部とはいえ、いきなり親称だ。しかし気にせず、ホテルの名前を言う。日本から着いたばかりで、そこに予約を入れてあるのだと。
彼は、愉快そうに笑い出した。
「なんだ、それを先に言えばいいのに!」--「???」--「通りの名前は知らないけど、そのホテルなら知ってる。今、友達をそこへ送ってきたばかりなんだ」--「あぁ!」--「この通りを、まっすぐ行くんだ」
店員が教えてくれたのと、180°逆方向だ。キオスクの地図は、どういう向きに貼ってあったのだろう。
「よかったら、送っていってあげようか」他意のない、温かい笑顔。「歩いていけば、ホテルの看板が見えてくる。なに、そんなに遠くないけど、その荷物じゃ辛そうだ」--「でもあなたは、これから家に帰るんでしょう」--「そうだけど」
私は書類の入った、トランクより重たいショルダー・バッグを、肩にゆすり上げた。これもカートがぶじなら、ハンドルにくくりつけて、一緒に引きずれる荷物である---あぁ、もうやめよう。
彼を警戒したわけでは、ない。
「もう遅いし、申し訳ないです。気持ちはありがたいけれど、自分で何とかなると思います」--「そんなら、いいけど」--「いろいろご親切に、どうも」--「いいんだ・・・ひょっとして、音楽家?」--「違いますけど・・・どうして?」--「僕が送ってった友達ね、音楽家なんだ。今夜だか明日だか、なんか催しがあるらしいの」--「カーニヴァルですものね」--「気をつけてね」--「あなたも。いい夜を!」--「あなたもね!」
翌日、フロントにあった旧市街の略地図を持って出かけた。両替などやぼ用をいくつかすませ、あとは教会の祭壇画を見るつもりだった。2泊予約したのは、飛行機で着いていきなり移動が続くのを避けたかったからで、M... では特に何もせず、これからの旅の英気を養うはずだった。
しかし---ここで過ごした1日半のほとんどを、私は道に迷ってうろつき歩いていた。高級ブランド店が並び、瀟洒な街並ではあるけれど、旧市街はさして広くない。ちゃんとした地図がなくても、銀行と教会なら、問題なく用事がたせる規模だ。
それなのに、それなのに---自分がどこを歩いているのか、わからない。ここまで迷子になったことは、R... でも B... でもなかった。1つの原因は、ベネトンなりダグラス--ブランド化粧品販売のチェーン店--なり、目印になるはずの店が、ここ M... にはいくつも支店を構えていて、たいして役にたたないこと。
それから---だから私は、M... や B... が好きなのだと、あらためて実感したのだが、これらの街では、通りや広場に、それぞれ特徴的な「顔」がある。マーラー小路とウンテレ・バッハ小路、「自由広場」と「黒広場」はまったく雰囲気が違っていて、地図をポケットにしまって何となく歩いていても、救いようもなく迷ったりはしない。道を訊けば、--たとえ相手がチェコ語で答えようとも--いくつかの目印をつかんでおけば、ちゃんと教えられたとおりに着くことができる。
そんな「地球の迷い方」の基本が、ここでは通用しないのである。同じ幅の道がどこでも続き、似たような店が漫然と並んでいる。誰かに訊いても「ここの者じゃない」か、「知らない」の繰り返し。あるいは、まったく違う場所。いくら歩き回っても、私はこの街の「顔」がつかめなかったのである。
そして---夕方になってから、もう1つの間違いに気づいた。「ヨーロッパの街では、ドームを目印にすること」とは、これも基本中の基本だが、私がドーム〈司教座教会〉と信じていたゴシック様式の聖ランベルティ教会は、ドームではなかったのである。どうも地図の位置関係がおかしいので、今まで素通りしてきた横道を入ってみると、そこにあった---ロマネスク様式、または「オットー朝様式」の、ドームが。ゴシック式のような尖塔がないので、大通りをはさんで--間にはショッピング街が、立ちふさがってはいるが--対峙しているのに、こちらの教会はまったく目立たなかった。しかしドーム前の広場は広く--翌日、ここは定期市の屋台で賑わっていた--、向かい側に中央郵便局がある。まさしくこの凛とした偉容は、ドームだけが持っているものだ。
パラダイス〈玄関ホール〉の十二使徒像に挨拶して会堂へ入ると、私は大きく息を吸いこんだ。ぼってりとした厚い壁に守られた、ひんやりした温かさ、あるいはほんわりした冷たさが、全身を包む。ロマネスクだ!
さらに歩みを進めて---あぁ、もっと早く、ここに来るべきだったのだ。
聖クリストフォルス。
「クリストフォルスに会った旅人は、その日のうちに死ぬことがない」---
翌日の用事は、ピギーを引けるしっかりしたベルトを探すことだけだったが、まったくの不首尾に終わった。でもあまり気にせず、朝のエスプレッソと、昼は屋台のポテト・パンケーキで、のんびり腹ごしらえをした。次の--本来最初の--目的地まではローカル線で20分たらずだから、その間の時間を、ドームのクリストフォルスのところで過ごした。
昨日もいた、今日もいる---恐らく常連の、バック・パッカー風だが正真正銘の物乞いが、パラダイスに座りこんでいる。投げだした長い足もとに、空缶を置いて。私が通るたび、「ハロー!」「チュス!」と、声をかけてくる。
さぁそろそろ、列車に乗る時間---最後にドームを出るとき、私はふり向いて、彼に「チュス!」と言った。彼は当惑したが、100円玉もくれずに出ていく観光客に、興味はないらしい。ちょうど入ってきたグループの注意を惹こうとやっきになって、私のことは視界からも意識からも、消えてしまったようだ。

Maerz 2000
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