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記憶の中の詩

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2006-07-25 [ Tue ]

いつのことだったか覚えていないが、ある時妹と2人で祖父の家へ行ったら
途中の線路端(土手の上)に車椅子の祖父がいた。
私たちはみょうにはしゃいで、「おじいちゃま一緒に帰りましょ」と
両側から車椅子を押した。
ワーシャはいつになく慌てたようすで上半身を後ろにねじり、
「いい!いい!」と叫んでいたが、私たちはわぁーいと笑って押しつづけた。
小さな和室の居間を睥睨するベットの上という定位置に戻ったワーシャは
陽ざしの名残を頬に残したまま、私ほど厳しくしつけなかった妹もいるので
いつもより温和で優しかったが、

どてらにくるまって気持ちよさそうに冬の午後の陽を浴びていた
祖父の姿を思い出すと、ほんとうはあの時祖父は
もっと陽なたぼっこをしていたかったのだろうな、
なぜ連れて帰ってしまったのだろうなと思って、
それもあって夏の弔いの庭を奔走しながら
私は涙が溢れて止まらなかった。
80歳の誕生日の前夜、病室に忍びこんで「明日来られないから」と
こっそり讃美歌を歌い、
それをモニタで見ていた看護婦さんたちが
誕生日には孫娘に代わって讃美歌を歌ってくれた、
その翌日の午後、ワーシャは天国で誕生日を迎えた---
さすがはよくできた孫娘だと私はみんなに誉められたけれど、
冬の日の小さな不孝が心に刺さっていて、それは違うような気がしていた。

月曜日がワーシャの天国での誕生日で、
朝熱いシャワーを浴びていたら、突然どてらで車椅子に乗った光景を思い出した。
右半身の自由を失った身には、そこまで一人で来るのは大仕事だったろうに。
シャワーを頭からかぶって、しばらく泣いた。
こんな日に母から電話がかかるのは(毎年のことだから)用件はわかっていたが、
この想いは独りで抱えていたくて、いちんちコールを無視しつづけた。

ワーシャは私が小学校高学年のときに言葉を失った。
だからいちばん多感な年頃に言葉で導いてもらうことはできなかったのだけれど、
私の何気ない言動に
それはワーシャがいつも言っていたことだとか、
見ているとなんだかマルファ(早世した祖母)そっくりだとか
評されることは、むしろ大人になってから増えた。
マルファとワーシャが逝った7月にはそれで
思春期にワーシャのお説教をくらっていたら
幼い日々マルファと一緒に過ごした時間があったら
私の人生はどんなふうに違っていたのだろうと、毎年考える。
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