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記憶の中の詩

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2006-10-10 [ Tue ]
たまった本の整理・処分にはまず読むことと、1冊つまみあげて開いた。
発表時、テーマと語り手で話題になった「ノン・フィクション」。
この書き手の文体はざっくりとして、それでいてさらさらしていて
よい意味で寝転んだまま読み流せるので、気がつくとたまっている。
このペーパー・バックも奥付のページに
鉛筆で約半額の値段が書いてあるので、
出先で手もちぶさたに買ってしまったものだろう。

最初の数行に眼を走らせて、これは読み終わっても
古本屋行きの段ボールに放りこめないことに気づいた。
しかも読み進めるごとに、ぜったい無理だとわかる。

女が語り、男が書く。
分析的に読んでしまうのは呆れた癖だけれど、
この語り手と書き手、視点の位置が気になると、
内容は二の次になってしまう。
『ソフィーの選択』も『朗読者』も
ビンゲンの聖ヒルデガルトも、同じ。
しかも『ソフィー』や『朗読者』では書き手が「僕」と一人称を名乗るのに、
ヒルデガルトやこの「ノン・フィクション」の「私」は女性であり、
その上あろうことか今眼の前にいる「私」は
取材をうけるのに曖昧な記憶を補おうと、
男である夫が遺した私小説を読みかえす。
(書き手は「その人」「夫のことを聞きたいという人」などと、
 三人称的に言及される)
また、この夫は執筆活動を続けるのにしばしば、妻や愛人や、
その他身近な人たちに口述筆記をさせるのだ。

あーやだやだ。
引っかかりながらすいすい読み進めたのは、
それでもこの男性ライタのおかげ。
次は何を読もうか。
(次に選ぶ本にも、また別のことで引っかかる予感・・・)
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