journal in japan

記憶の中の詩

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2007-07-01 [ Sun ]
電話はかかってこなかったが、
かかってくるに違いないと毎年無意識に構えるほど、
もう恒例になっているこの月はじめ。
カサ・ブランカを飾って、
どうかいい声の神父さまがパニヒダ(死者の記憶)の
ミサをあげてくださるように、
どうか詠唱をはしょったりなさらないようにと
妙な念じごとをする。

ちょうどこの朔日が、マルファの記念日にあたる。

早くに逝った祖母は私が生まれる前から
古い小さな家の片隅でほの白く微笑むセピア・カラーの写真だったし
(その前の席が私の定位置だった)
ぴったり懐いていた祖父は逝ったひと夏の記憶を私から奪っただけで
今は静かな温かい影だ。
・・・ときどき古い思い出の中でおどけてみせても、くれる。

春からずっと「定点観測」を続けている
紅白のさるすべりの樹。
白はもう最初の花が足もとを染めて、
新しい蕾を次々ふくらませているけれど、
紅はしんねりと逞しく、葉芽をぐいぐい伸ばしつづけるばかり。
まるであと3週間を心穏やかに過ごしなさいといわんばかりに。

鋼の聖母がじわじわと手足を縊っていくかのような
忘れかけていた感触に抗いながら、私を
慰め守ってくれているのはやはり、このさるすべりたちなのかも知れない。

人は、花は、葉や実は朽ち落ちて土に還り
その土もまた落ちつづけて無に還る。
生きた証をとどめてくれるものは
生きている者の中の記憶だが
その記憶もまた土に、無に還っていく。

ただそうしてあまたの生を、記憶をくるみこんだ無ならば
そこへ還ることに不安や恐怖はない。
願わくば今少しこの魂を地上にとどめて
うつし世の歩みを続けさせてください、と。


日曜日の靴は黒、しかもエナメルと
子供のころはお約束。
『赤い靴』の悲劇が肌身に迫って感じられて、
いつも読みながら震えていた。
『パンを踏んだ娘』も。
なのによりによってこんな日曜、
赤いブラウスを買いに行くつもりだった罪を懺悔します。
なので今日は日々のパンを感謝しておいしくいただき、
ブラウスは明日買いに行きます。
明日はココアを我慢するので、
1点もののブラウスが売り切れていませんように・・・(切々

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