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記憶の中の詩

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2006-02-24 [ Fri ]
2003年夏、G...のB.家に3週間お世話になった。
まったく赤の他人、しかも初対面の外国人(お互いさまだが・笑)の
家にスティするのはほとんど初めてだったが、60前後の飾りけのない
夫婦で、私は息子たちが使っていたという部屋で子供のように過ごした。
夫のWil...は一見無骨な大男だが、じつに気配り細かく、朝食から何から、
私のめんどうを見てくれるのはもっぱら彼。
(「専業主夫」ではない。2つの職場で責任あるポストにつき、
明け方から夜中まで働いている)
妻のWie...は朝早く出勤するか、でなければ遅くまで部屋から出てこない。
かりそめにせよ同居人としてはすれ違いが心苦しく、私はなるべく毎晩
彼女とTVを見ることにした。
仕事仲間と夜のカフェでお茶をして帰ってくるとほぼニュースの時間で、
「通訳の勉強をしているから、シャドゥイングやメモの練習をさせて」
という最初のふれこみだったが、ほんとうは何の番組でもよかったのだ。
居間をのぞくと彼女はポテト・チップスならぬクッキーの丸缶を抱えこんで
krimi(サスペンス)に見入っており、私は「チャンネルそのままね」と言って、
自分のハーブ・ティを淹れてくるのだった。
「母も krimi が好きだから、なんだか実家に戻ったみたい」と。
どこの国でもTVの krimi はいかにも粗く安っぽく、映画に私が期待するように、
映像や音楽にひたることもできない。
ただそれだけに、仕事で疲れた心身の表面を通り過ぎていくだけのものが
安楽で、ふだん日本でドラマを見ない私は、ひたすら働きとおした母の
サスペンス好きがわかったように思った。
---いかにも脂ぎったくしゃくしゃの中年男が、だみ声の南部訛で電話している。
私がぶぶっと吹きだし、Wie...は外国人の私がそんな反応をするのが可笑しいと、
声をたてて笑う。
舞台は北の港町。
今いるのも北部の商都(近世以降大学町)、私が暮らしたのも南の港町だが、
TVに映っているのは中世から商業で栄えた、この国指折りの100万都市。
ひとけのないメィン・ストリートもうらぶれた安アパートも、静かな古都とは
まるで別世界だ。
途中から見はじめたストーリーも、滑舌も発音もブロークンな台詞まわしも
すべて表層を流れるにまかせ、ただWie...と時間と空間だけを共有する。
それから部屋にひきあげ、S.H.のハード・カヴァーを開いたまま眠りに落ちるのが、
その夏の私の日課だった。
翌朝Wil...と互いの気配をうかがいながら、「おはよう」と
3人分の食器の並んだ食卓で顔を合わせるまで。
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